原爆も大震災も神の摂理? 白井幸子 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

原爆も大震災も神の摂理なのですか?(30代・男性)

これはたいへんな難問ですね。原爆や大震災が神のみ心によって起こった、と考えることにも、神のみ心に反して起こったと考えることにもそれぞれ困難があります。けれども、事実はそのどちらかでなくてはいけないと思われるのです。しかし、考えてみれば、ほかにも同じようなことがあります。

ある小学生の男の子が小児がんを発症して死んだのはなぜか。ある母親が酔った人の運転する車にはねられて死んだのはなぜか。ある赤ちゃんが重い心臓病をもって生まれてきたのはなぜか。さらには、絶えず戦争があって多くの人々が死なねばならないのはなぜか。

こうした出来事は私たちの生きるこの世界に無数に存在しているのですが、規模は小さくても、こうした出来事の本質は原爆や大震災と変わらないように思われます。

神が存在するならば、なぜ、このように無慈悲なことが起こるのか。神はこのような出来事をご存じなのか。神はいつ嘆き悲しむく人の涙を拭ってくださるのか、と誰もが考えざるを得ないのです。

しかし、山上の教えでイエスは、人々に向かってこう言われました。「悲しむ人々は、幸いである/その人たちは慰められる」(マタイによる福音書5章4節)。この言葉は、悲しむ人々を、やがて神ご自身が必ず慰めるという宣言です。

また、「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか」と、尋ねた弟子にイエスはこう答えられています。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネによる福音書9章3節)。

このように神は、この世に無慈悲な出来事が存在し続けることを許しはしないと宣言されています。やがて、神の国が到来する時、悲しむ人々の涙は拭われる、と言われます。

人となった神の子の誕生は、神の子が人間のすべての罪と悲惨を我が身に引き受けてくださるという、神の意思表示です。ここに、世のすべての悲劇に対する神の愛と摂理が示されていると思うのです。

*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。

しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。

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