シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」⑩エキュメニカルな家庭で育った私 【Road to えきゅぷろ2022】

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私はカトリックの父と、プロテスタントの母というエキュメニカルな環境の中で育った。しかし恥ずかしながら、私はキリスト教の知識が浅く、さまざまな教派の方からそれぞれの信仰生活、教会の現状を教えてもらった。それによって、一致する上での課題が見えてきたような気がした。もちろんネガティブな要素だけでなく、遠い存在だと思っていた教派が実は共通点も多く、親しい関係として認識できるようになったり、お互いにとっていい刺激を生んだと感じた。

だが同時に、私は信仰心の面で壁を感じていた。私の家庭は日常生活で祈ることはほとんどないし、教会に毎週通うことはしない。そんな自分がさまざまな教派と信仰についてディスカッションを重ねるにつれて、なんだか罪悪感を覚えてしまったのだ。毎日欠かさず神様にお祈りをしている方の話を聞いていると、こんな自分がクリスチャンとして生きていていいのだろうか、と思わずにはいられなかった。

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そんな中、とあるディスカッションが終わって次のプログラムに移る間、ある男性が私に声をかけてきた。彼は私の存在がとても助かったと感謝を述べたのだ。理由を聞くと、彼も日ごろお祈りするわけではなかったので、私と同じ気持ちになっていたそうだ。信仰生活が似た者と出会ったことで、ある種救われたと。その時私は、自分でも勇気を与えることができることに少しホッとした。

100人いれば100通りの信仰生活があると私は思う。その信仰それぞれに優劣をつけることはナンセンスなことだろう。信仰生活において「こうしなければならない」、または「こうした方が偉い」といった判断を神様は望んでいないと勝手に考えている。今後の活動において、私は少しでも同じ悩みを持った人々に手を差し伸べたい。どんな境遇を持っていても、私たちは同じ神様を信じる者同士。一緒に肩を組んで賛美できる手助けを、私はこれからも続けていきたい。(スタッフ・ルルティン・マター=日本福音ルーテル教会)

【Road to えきゅぷろ2022】 シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」⑨私のエキュへの道のり 2021年10月11日

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