9月12日  ローマの信徒への手紙6章8節

わたしたちはキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになると信じます。
ローマの信徒への手紙6章8節(参照箇所同書6章1〜11節)

の言葉には、信仰に生きる者の実存がよく表れています。もしこの言葉を妄想の類いである、神秘主義に過ぎないと思うなら、その信仰は冷たい知性の中に死んでいると思わなければならないでしょう。信仰を知的な作業に終わらせ、宗教的概念のに閉じこめるなら、主人から預かった一タラントンを穴に埋めておいた僕(しもべ)と同じで、信仰という折角の賜物を無駄に費やすようなものです。

パウロは「わたしたちは洗礼によって、キリストと共に葬られ、その死にあずかるものになりました。それはキリストが御父の栄光によって死者の中からさせられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(4節)と言います。

洗礼はの葬式であり、命に復活する出来事を水によって体験するのです。それはちょうどキリストが十字架の上に死なれ、三日目に復活された出来事が、わたしたちにも起っていることになります。キリストに起ったことが、わたしたちにも起っていることになります。

キリストの死を死に、キリストの命を生きる、これが洗礼において起っているので、パウロは「キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになると信じます」と告白するのです。

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