8月17日 エゼキエル書16章60節

だが、わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い起し、お前に対して永遠の契約を立てる。
エゼキエル書16章60節(参考箇所同書16章1〜63節)

エルサレムに象徴されるイスラエルの民の罪を昔にまで遡って、白日の下に暴きたて審かれる神は、同時に決して彼らを見捨てることのないお方であることを告げた託宣の言葉です。

イスラエルの人々が経験しているバビロン捕囚の苦しみは、かつて住んでいたエルサレムを懐かしく思い出させるのではなく、かえって彼らの犯した罪とそれにもかかわらず見捨てることなく見守ってくださるお方に対する信仰を呼び起こしたのです。

古い昔、エルサレムは野に捨てられた存在であって主であるお方とは無縁の存在であったのに(5節)、神はその傍らを通り過ぎられるとき、「(血まみれのお前に)生きよ」(6節)と声を掛けられたのであると託宣の言葉は語ります。生々しい神との出会いの様です。

その後、神はエルサレムを美しい娘にまで育てたのに(9節)、彼女は姦淫の罪を犯し(15節)、今やその責めを負っているのだ(58節)と言われます。にもかかわらず神は、「わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い起し、お前に対して永遠の契約を立てる」と言われます。

一旦、信仰者として「生きる」ことを得た者は、この永遠の契約に生きる者です。

 






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