【インタビュー】青山学院院長の山本与志春さん 「地の塩、世の光」となるサーバント・リーダー育成を目指す(後編)

 

青山学院は幼稚園から大学、大学院までを擁し、キリスト教信仰に基づく建学の精神で「人と社会のために何ができるか」を考え、実践し続けている。昨年7月に院長に就任した山本与志春(やまもと・よしはる)さんに話を聞いた。

青山学院院長の山本与志春さん

──初等部の生徒は、滋賀県にある障がい者支援施設、止揚学園に短期留学を行っていると聞きました。

1981年から始まり、40年近く続けています。毎年、初等部の入試の時期に、希望者を募って実施しています。送迎だけは教師も同行するようにしていますが、到着後は児童だけ残して、あとは学園にお任せしています。先生方に聞くと、最初は重度の障がいのある人と握手ができない状態でも、帰る時には涙、涙のお別れだそうです。4年生から行くのですが、そうするとリピーターになって、毎年行く子どもも多いです。だから、先生がついていなくても大丈夫なんですね。経験した上級生が下級生の面倒を見ますから。

──子ども同士のつながりが強いんですね。

初等部の6年間で50日もの宿泊行事があります。そのたびごとにクラスを分解して新しいチームを作っています。自分たちでチームを作って野外活動をするといったことは、初等部から訓練されています。1年生のなかよしキャンプに始まり、農漁村の生活(2年)、山の生活(3・4年)、雪の学校(3〜6年)、海の生活(5年)、6年生の洋上小学校は8泊9日です。そこには基本的に、世界が教場であると同時に、生活そのものが学びという発想があります。幼稚園は遊びが学びで、自由教育で遊ばせています。

──青学は駅伝が注目を集めていますが、強さの秘訣はどこにあるのでしょうか。

大学では、陸上競技部(短・中・長距離)、硬式野球、ラグビー、男子バスケ、女子バレーの5つが強化クラブとなっています。ただ強化といっても、人数の枠があるだけで、授業や就職の優遇措置などは保証していません。授業優先なので、渋谷のキャンパスでの壮行会や報告会には、相模原キャンパスに通っている学生はたいてい参加できません。「青学に行ったら、勉強をきちんとしなければいけない」というのが初めからの条件です。だから、合宿所では勉強をする部屋があり、試験前は席が埋まります。

──文武両道が強さの秘訣でしょうか。

自分の力を精いっぱい伸ばす、自立した個を育てていることかと思います。あとは祈りでしょうか。壮行会で祈って送り出すだけでなく、寮に入る時も、宗教主任が祈ってから入所する。入寮式は礼拝形式になっています。

──青学の中心は常に祈りなんですね。

大学教授会など、学内の会議では、開会の祈りと閉会の祈りをするのがルールです。通常、宗教主任が学部に一人いるのですが、もしそこにクリスチャンがいなければ、黙祷をしてから始めるようにしています。

──山本先生はどのようにクリスチャンになられたのですか。

もともと日本文学が好きで、高校では日本史と日本語しか勉強していませんでした。その結果、どこの大学も入れなくて浪人です。それで、東京に出てきて寮に入ったのですが、そこで一緒になった人が近くの教会に行っていたんですね。その頃、私は英語とキリスト教が大嫌いだったのですが、芥川龍之介や太宰治らの作品をよく理解するためには、彼らが読んでいた聖書を知らなければいけないという思いがありました。それに、高校で習ったキリスト教の話が今ひとつ分からなくて、その疑問が解けるかもしれないという思いもあって教会に行くようになりました。それがきっかけで、今も通っている日本バプテスト連盟・赤塚バプテスト教会で洗礼を受けました。

──クリスチャンで、仏教系の駒澤大学に進学されたのは不思議な感じがします。

何しろ英語の勉強をしていなかったので、選択肢がなく、入学させてもらえたのが駒澤大学です。でも、仏教科には牧師のお嬢さんもいましたし、hi-b-a(高校生聖書伝道協会)で奉仕している人も仏教科の学生でした。大学ではKGK(キリスト者学生会)に入って、文化祭で映画「塩狩峠」などを上映したりしていました。

──熱心に活動されていたのですね。

学生時代は1週間に何度も教会に行っていました。日曜は朝8時半には行って礼拝に出、夜は9時まで。火曜日は午前5時半からの早天祈祷会、水曜には夜の祈祷会、木曜と金曜のどちらかには毎週、青年会や伝道委員会、役員会、地区集会がありました。行かないのは月曜くらい。沖縄や台湾にも伝道に行きました。教会が米国に伝道チームを送るくらい伝道に熱心だったこともあります。

──大学卒業後、公立中学校の先生になられましたが、どうして青山学院に移られたのでしょうか。

私は公立学校で国語を教えながら、FEBC(キリスト教放送局)でボランティアもやっていました。同年代の教会員がFEBCに勤めていて、紹介されたんですね。番組の企画をしたり、週に1度くらい番組も担当したりしていたのですが、当時の青学中等部の教頭がその番組を聴かれていて、「青学に来ないか」とラジオ局に誘いの連絡があったのです。

──ヘッド・ハンティングですね。

神様のヘッド・ハンティングです。青学に普通に履歴書を出していたら、私は間違いなく落とされたと思います。本当に不思議な巡り合わせです。

──今後、青山学院が目指していることについて教えてください。

皆さんとのお祈りの中で、「青山学院は神様によって建てられた学校です。まことの創設者はイエス・キリストです」といつも言っています。ですから、学院の名にふさわしい働きをしなければいけない。それは、平和な世界を作ることだと思っています。「地の塩、世の光」としての自分を表し、行動できるサーバント・リーダーを育成する。そういう学生を育てていくのが私たちの役割、使命だと思います。

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