イスラエルにおける「王」 山森みか 【宗教リテラシー向上委員会】

先日、ヨルダンのフセイン国王がアメリカのトランプ大統領と会談したニュースを伝えるイスラエルのテレビを見ていたら、記者の一人がトランプ大統領のことを「トランプ王」と言い間違えた。他の記者たちは冗談めかして「確かにその側面はある」とうなずき合い、スタジオに笑いが起きた。民主制における適正なシステムで選ばれたとはいえ、就任直後から大統領令を連発し、国内のみならず世界中を大混乱に陥れているトランプの振る舞いは、なるほど大統領というより「王」のイメージの方がふさわしいかもしれない。

イスラエルの首相ビンヤミン・ネタニヤフも、しばしば熱狂的支持者たちから「キング・ビビ」と称されてきた(ビビは、ビンヤミンの愛称)。彼の巧みな弁舌と整った容姿、カリスマ性と政治的手腕は、支持者たちを魅了してきたのである。彼を「王」と呼ぶ支持者たちは、首相よりも王という呼称こそが自分たちの指導者にふさわしいと思い、その言葉で彼を賞賛しているのだろう。ネタニヤフの在任期間はイスラエル史上最長で、すでに17年を超えている。とりわけ2022年の年末に発足した第6次ネタニヤフ政権は、最高裁の権力を弱め、議会の決定権を増すことを主眼とする司法改革を推進しようとしてきた。

例えば2023年3月、ネタニヤフは司法改革に反対の意志を表明したガラント国防相(当時)の解任を発表し、それに反対する企業、銀行、公共機関及び市民が大規模デモを繰り返した。このイスラエル国内の混乱を好機とし、2023年10月のハマスの越境攻撃が起きたというのが大方の見解である。

ネタニヤフは今年3月にも、主としてイスラエル国内安全保障に携わる保安庁の長官であるロネン・バルを、「彼に対する信頼がなくなった」という、きわめて個人的なものに聞こえる理由で解任すると発表し、大きな批判を浴びている。今はネタニヤフ側近がカタールからの送金を受けていたという「カタールゲート」疑惑が持ち上がっている時期であり、バル長官はその調査をする立場なのでネタニヤフに嫌われたと考えられている。ネタニヤフのこのような振る舞いは、イスラエル国内メディアでも、トランプになぞらえて「トランピズム」という言葉で表現され、民主制に対する脅威だと捉えられている。

ヘブライ語には「王にではなく、王制に忠誠を」という言い回しがある。これは、王を個人崇拝するのではなく、国の制度そのものを尊重せよという意味だろう。確かにネタニヤフは首相として国のトップに立っているが、尊重すべきはネタニヤフ個人の意向ではなく、それを支える法的制度、すなわち民主制であるべきだろう。

そもそも古代イスラエルにおいて、王は決して絶対君主や神の化身ではなかった。例えば申命記17章14~20節には「王の掟」が記されている。王は自分のために馬(軍事力)を増やしてはならない。妻を多く娶ってはならない。自分のために銀と金を大量にたくわえてはならない。そして律法の言葉と掟を学び続けなければならない。つまり王は神の律法の下におかれる存在であり、それが古代イスラエルを同時代の他の諸王国と異なる存在にしていた。古代の王でさえそうなのだから、ましてや現代の民主制国家の首相においてをや、である。

私たちは、この混迷の時代における指導者の地位や振る舞いについて、聖書に立ち返って再び考えた方がいいのかもしれない。

山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。

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