礼拝を「コンサート」に陥らせる「音楽の副作用」【聖書からよもやま話573】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、ネヘミヤ記の11章です。よろしくどうぞ。

ネヘミヤ記 11章22節

ウジはアサフの子孫の歌い手の一人で、神の宮の礼拝を指導していた。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

現代のプロテスタント教会で行われる礼拝の「メインディッシュ」は牧師による説教ですが、それに勝るとも劣らないほどに重要なのが讃美、つまり音楽です。ちなみにクリスチャンは当たり前のように「讃美歌や聖歌を歌う」ことを「讃美する」とか単に「讃美」と言うのですが、クリスチャンでない方からすればそれは完全に専門用語ですから気をつけた方がいいかと思います。「専門外の人に専門用語を不用意に使ってはいけない」というのはどの業界でも通用するコミュニケーションの大切な原則です。

さて、ネヘミヤ記にはこのように、歌い手が礼拝の指導者であったと書いてあります。これは現代の教会でもよく見られる光景です。もちろん最終的には牧師が礼拝の手綱を握りますが、音楽担当者が会衆をリードする場面は教会にもよりますが多々あります。そのくらい音楽というのは神様を礼拝する上で重要なものなんです。

教会には様々な奉仕(これも専門用語ですね。「教会のために行う役割・仕事・担当」みたいなものです)がありますが音楽奉仕というのはかなり「やりたい!」という人が多い奉仕です。音楽を好む人は多いですし、何らかの楽器を演奏することや歌うことを趣味とする人も多いですから、その「好き」を神様のお役に立てたいと願うのは自然なことでしょうし、良き志かとも思います。

しかし一方で、音楽奉仕というのは「音楽が好き」だけでできるものではありませんし、それだけでやっていいものでもありません。先述したように音楽奉仕者は礼拝を引っ張るリーダーです。そこでの演奏や歌唱は会衆全体の信仰に関わることです。決して、礼拝の場を「自分の音楽の発表の場」にしてしまってはいけません。「音楽をやりたい」という自分の願いの実現の場にしてはいけません。しかし、幸か不幸か音楽というものには、人をそんな心に陥らせる強い魅力と魔力があります。礼拝での演奏者は音楽に没頭してしまうことを避けなくてはなりません。

ボストンでの留学時代、僕は教会で毎週ベース演奏の奉仕をしていました。それを知った僕の師匠は「コンサートでの演奏と礼拝での演奏では必要とされることも心構えもまったく違うんだ」と言って、礼拝での演奏に必要なことを時間をかけて叩き込んでくれました。たとえば「自分の演奏に没頭せず、常に神様に心を向けておくこと」「自分を隠してシンプルな演奏に徹すること」「テクニックやセンスを見せつけてはいけない」「言葉を発してはいけない。もし必要でも最低限に」「会衆が心から喜んで歌えるような音を選ぶこと」「しかしなおかつ、自分の能力をフル活用して最善かつ最高の演奏をすること」・・・と、まだまだたくさんあります。これをある程度できるようになるまでにかなりの時間を要しましたし、今でも完璧にはできません。ある意味ではコンサートで弾くよりも礼拝で弾く方がはるかに難しいとさえ言えます。まさにこれは神様がミュージシャンに与える「終わりのない修行の道」です。

アウグスティヌスは「讃美することはいいことであるけども、讃美自体が偶像にならない程度にしなさい」と言ったそうです。神様は音楽が大好きです。ですから人間が音楽に惹きつけられるのも当然のことです。音楽にはそれだけの魅力とパワーがあります。でもだからこそ、その扱いには細心の注意を払わなくてはいけません。音楽奉仕を担うには、音楽の魅力と魔力、その両方をしっかりと知り、心に刻みつけておく必要があります。音楽の魅力だけでその奉仕を担えば、きっちりと落とし穴にハマります。

音楽を愛するからこそ、音楽の怖さも知らねばならぬのです。

主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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