主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、イザヤ書の5章です。よろしくどうぞ。
イザヤ書 5章21節
わざわいだ。自分を知恵のある者と見なし、自分を悟りのある者と思い込む者たち。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
行政書士の仕事をしていると、弁護士さんとか官僚さんとか「この人、賢いなー」と思う人によくお会いします。宗教法人専門で行政書士をやっていますから「この人、悟ってるなー」と思う牧師さんやお坊さんにお会いすることもあります。そういう人たちに共通することは、決して自分のことを「賢い」だとか、まして「悟っている」なんて思っていないということです。むしろ彼らは自分を「愚か者」であり「悟りから最も遠い者」であると自覚しています。彼らは常に自らの基礎となる知識を繰り返し学ぶとともに、新しい知識にもアンテナを立てて貪欲にそれを吸収しようとしています。
メジャーリーグの殿堂入りを果たしたイチローさんは、とあるインタビューで「自己肯定?僕にとっては気持ち悪いです」とおっしゃっていました。それはつまり「できなかった自分」を肯定してしまったら成長できないということでした。イチローさんは現役時代はもちろんのこと、引退した後でも野球について常に成長を目指しているとのことでした。イチローさんほどの打者であっても、決して「自分はすごい打者だ、完成した打者だ」なんて思わず、常に「まだ足りない者」として精進を続けていたし、今でも続けているということです。
賢さは学ぶことを止めたときから急速に衰えて、愚かさに変わります。大学に入るまでは一生懸命に勉強をしても、大学に入ると学ぶことをやめて遊び呆けてしまう大学生は今も昔もたくさんいます。かく言う僕自身もそうでした。そんな学生は、たしかに大学に入学した時点では賢かったかもしれません。しかし卒業する頃には賢くなくなってしまいます。「賢い」というステータスは一度得たらずっとそれを保持できるようなものではありません。「知識を持っている」人が賢いのではなく、「知識を得続けている」人が賢いんです。
これはごはんを食べることに似ています。ごはんは毎日食べなくてはいけません。過去にいくらたくさん食べたとしても、今日食べなくては死んでしまいます。過去にいくら知識を得たとしても、今日知識を得ないのであれば、その人はもはや賢くはありません。
「お腹いっぱいだ」と思うと満腹中枢が働いて、食べ物を受け付けなくなるのと同じように、人は「自分は賢い」と思ってしまうと知識の満腹中枢が働いて、新しい知識を受け付けなくなります。ですから本当に賢い人は「自分はまだまだ知識が足りない」と自覚し、知識の空腹状態を常にキープしています。
そしてそういう人は謙虚なものです。なぜなら人一倍「自分が何を知らないか」について知っているからです。ですからきちんと知らないことは知らないと言えます。「自分は賢い」と思っている人は「自分が何を知らないか」について知らないので、知らないことにまで口を突っ込もうとして恥をかきます。それだけですめば良いですが、「私は賢いのだから私の言うことを聞くべきだ」と不確かな知識で世を乱します。だからこそ聖書にはこういう人を「わざわい」だと書いてあるんです。
「私は賢い」と思った時点で、賢者は愚者に変わります。「私は賢い」と言っている人の知恵を求めるのは、賢者に知恵を求めているのではなく、愚者に知恵を求めていることになります。ですからリアルな社会でも、SNSでも「私は賢い」と言っている人の話は、話半分に聞いておくくらいにしておいた方がいいと思います。多くの人が「我こそは賢者なり!」と主張するこのSNS社会、自称賢者の戦国時代。そんな競争には参加しないのが本当の賢者かと思います。賢さは愚かさの始まり、愚かさは賢さへの唯一の道です。死ぬまで愚か者でいたいと思いますし、聖書は人をいつまでも「愚か者」でいさせてくれる最高の書です。
聖書じゃなくても、たとえば図書館に行ってみてください。膨大な量の本がありますが、その中で読んだことのある本はほんのごく一部のはずです。そのほかの莫大な量の「読んだことのない本」、これが僕たちの「知らないこと」つまり愚かさです。国会図書館や大学図書館なんかじゃなく、街の図書館であっても、そこにある「読んだことのない本」は一生かかっても読みきれないことでしょう。だってそこには日々新しい本だって追加されてゆくんですから。ですから僕たちはいくら学んでも、安心して死ぬまで「愚か」でいられるんです。
主にありて。
MAROでした。
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