怒った時に耳をふさいではいけない【聖書からよもやま話523】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、使徒の働きの7章です。よろしくどうぞ。

使徒の働き 7章57節

人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。

(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

今日は「キリスト教最初の殉教者」と呼ばれるステパノが殉教したシーンです。ステパノはキリスト教を憎むユダヤ人たちに対して「君たちの方こそ神様の命令に逆らってきたじゃないか」と耳に痛いことを滔々と述べました。すると彼らは起こってステパノにみんなで襲いかかり、石を投げつけて彼を殺してしまいました。

人は集団になると割と簡単に恐ろしいことをしてしまうものです。一人では決してできないことでも、集団になるとできてしまったりします。もちろんそれは何か良いことを成し遂げるという意味でもそうですが、今回のように、悪いことでも同じことが言えてしまうという点が、人間の恐ろしいところかと思います。ステパノに石を投げつけた人たちも、きっとステパノと一対一で話していたのならそんなことはしなかったでしょう。でも集団であった彼らはみんなで石を投げつけたのでした。「他のやつも投げているから僕も投げていいだろう」「ここで投げなくては今度は自分がみんなの非難の的になってしまうかもしれない」「みんなで投げれば怖くない」・・・一人一人はそれぞれ違った動機を持っていたかもしれませんが、とにかく「みんなで」ステパノを殺したのでした。

この時に彼らは「耳をふさいで」いたと聖書には書かれています。僕たちもまた、集団で誰かを責める時、「耳をふさいで」はいないでしょうか。耳に痛い意見や情報は遮断して、自分の正義を主張してしまうことがないでしょうか。僕は実はこのことが、みんなで石を投げつけたこと以上に恐ろしい人間の罪なのではないかと思います。

政治家を非難する時、有名人の不倫を非難する時、SNSで不適切な発言をした人を非難する時、とにかく誰かを非難する時、特に集団でそれを行う時にはなおさら、僕たちは耳をふさぎがちではないでしょうか。そして耳を塞いでしまうから盲目的になって、とことんまでその相手を打ちのめさずに、時には殺さずにはおけなくなってしまうのではないでしょうか。

怒った時、義憤に駆られた時、正義を主張する時、大切なものを守る時、そんな時こそ僕たちは決して耳をふさがないように気をつける必要があるのだと思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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