主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、ゼパニヤ書の3章です。よろしくどうぞ。
ゼパニヤ書 3章4節
預言者たちは、ふしだらで裏切る者。
祭司たちは聖なるものを冒して、
みおしえを冒瀆する。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
現代社会には聖書を都合よく切り取って、私利私欲のために用いるカルト教団やカルトまがいの団体、人物が後を断ちません。それは聖書に限ったことではなく、仏教の経典やイスラムのコーランを都合よく使って、私利私欲を満たす輩もたくさんいます。
しかし、これは現代社会特有の問題ではないようです。ゼパニヤ書が記されたのは紀元前7世紀頃とされていますが、この頃から神様やその教えを都合よく使って、私利私欲を満たす輩がいたようです。しかし、ゼパニヤ書にはその後に、「神様はそんな中でも決して変わることがない」と記されています。それが希望です。
カルトの問題は、決してその教祖や幹部だけの問題ではありません。僕たちもまた、気をつけていなければ簡単にカルトの一翼を担ってしまいます。たとえば「信じればあなたの願いが叶いますよ」と誘惑された時、それはつまり「あなたの私利私欲のために神様を使いませんか」と言われているんです。それに乗ってしまえば僕もあなたも立派にカルトの片棒を担ぐことになります。
神様は決して僕たちの願いを叶えるために存在しているのではありません。もちろん神様は僕たちの願いを叶える力を持っています。神様からすれば僕たちの願いを叶えることくらい簡単なことです。しかし、それを目的に近づいてくる人間を神様はゆるしませんし、その願いを叶えることもありません。そんな目的で神様に近づいて、もし「願いが叶った」ように見えたなら、それを叶えたのは神様ではなく悪魔です。気をつけなくてはいけません。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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