お歳暮に「欠陥品」を贈る人【聖書からよもやま話457】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、レビ記の22章です。よろしくどうぞ。

レビ記 22章20節

欠陥のあるものは、どのようなものでも献げてはならない。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

レビ記には「生贄の献げ方」とか、現代の僕たちには一見まったく関係のないようなことがずらずらと記されているので読んでいてちょっと退屈にも思えます。しかしよくよく読めば僕たちが神様に対する時、人に対する時、どのようにするべきかを読み取ることもできます。

年末で、お歳暮を贈ったり貰ったりした方も多いかと思いますが、お歳暮には誰でも「良いもの」を贈ります。わざわざ欠陥品をお世話になった人に贈る人はいません。そんな人がいるなら、それは感謝の印ではなくもはや嫌がらせでしょう。神様に対する生贄はいわば神様への贈り物ですから、これと同じことが言えます。

どうも当時のイスラエルの人たちの中には、神様に献げる牛や羊として、傷のあるものや病気のものを選んでいた人が少なくなかったようです。つまり「病気や怪我をした牛や羊は使い物にならないし、自分で食べるのも嫌だから、これを神様への生贄としよう。元気で良いものは自分のためにとっておこう」という心で、神様に生贄を献げていたということです。こういう態度について、神様は「それはだめだぞ、失礼だぞ」と教えています。
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贈り物をするのにわざわざ「悪いもの」を選ぶのは人間同士であっても失礼なことです。それは誰しも同意してくださることかと思います。しかし人間への贈り物についてはそういう失礼を避けるのに、僕たちはついつい相手が神様になるとそういう失礼を平気でやらかしてしまったりするものです。それはつまり「お金が余ったら献金をしよう」とか「時間があったら奉仕をしよう」とか、そういう態度のことです。それは傷ついた牛や病気の羊を献げるのと同じことです。自分にとって「要らないもの」を神様に贈るということですから。僕自身も書いていて耳が痛くなりもします。

金額の大小とか、時間の長短とかは関係ないんです。100円だっていい、5分だっていい、それをきちんと用意して確保して、きちんと献げる態度が必要なんです。

人間同士だってそうでしょう?同じ5分であっても「時間があったら5分だけ会ってやるよ」という態度の人と「忙しくて5分だけなんですけど、その時間はちゃんと確保します」という態度の人、僕たちはどちらを信用するでしょうか。

神様に「要らないもの」を贈ってはいけないんです。もちろん人にもですが。そんなことをしたら、神様にも人にも、贈り物どころか嫌がらせにさえなってしまうんです。気をつけなくてはいけません。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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