3月18日「だから、すべての民をわたしの弟子にしなさい」

だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。(マタイによる福音書28章19〜20節)

復活の主イエスは11人の弟子たちを呼び寄せ、世界伝道の働きを命じた。「すべての民」を視野においた今日の聖句は、小人数の、しかも主を裏切った弟子たちが考え出したことではない。復活の主イエスでなければ語れない言葉であり、計画である。それにしても、この壮大な世界伝道の働きを、この弟子たちが担えるのだろうか。なぜ復活の主は人々の救いを左右する福音を、無力で小さな弟子たちに託されるのか。これは私たち自身の問いである。「主よ、どうして私たちのような無力な者に伝道を託されるのですか」。

この問いに対して、主イエスの「だから」(19節)という言葉が重要である。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って...」と言う。「全責任は私が持っている、だから、行け」。「あなたが人を救いに導くのではない。あなたの伝道を通して人々に働きかけるのは、私である。だから、あなたは時が良くても悪くても福音を伝えよ。私があなたがたに伝道を託すのは、それによって、あなたがたが私との交わりを深め、私をもっと良く知るようになるためである」と言われる。主イエスが全責任を取ってくださるのであるから、私たちは結果に一喜一憂せず、託された福音を伝道し、その働きを「主よ、用いてください」と言えばよい。伝道の働きを担う者は、人を救い、その人生を変える主の業を見る。なによりも、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(20節)、という祝福にあずかる。

 






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