主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、箴言の4章です。よろしくどうぞ。
箴言 4章7節
知恵の初めに、知恵を買え。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
僕は学校が嫌いでした。小学校も中学校も高校も。毎日行くのが嫌で仕方なく、誰かに「学校は楽しい?」って尋ねられても、その質問の意味がわからないほどでした。「楽しいわけがないし、楽しみに行っているわけでもない」と。しかしそれでも、大人になってから思い返すに、僕が学校から得たものは膨大なものでしたし、今でも大切な財産になっています。今こうして文章を書けるのも、学校で学んだからです。
聖書は「知恵の初めに知恵を買え」と教えています。お金を得るためにはお金の元手が必要ですが、知恵を得るためにも知恵の元手が必要です。本を読んで勉強しようにも、字が読めなければできません。
現代の日本ではその「知恵の元手」を誰もが持っています。日本には義務教育があるからです。教育無償化で、それはほとんど「買う」必要さえありません。でも聖書の時代にはそんな制度はありませんでした。ですから知恵を得ようと思ったら文字通り「知恵の元手」を買う必要があったんです。そう思えば、今の日本の教育制度のなんと恵まれたことか。
一方で「日本の教育レベルが下がっている」なんて声もあちこちから聞こえます。でも僕は、教育は学校で完成させる必要はないと思っていますし、完成するはずもないと思っています。学校で得られるもの、即ち「買える」ものはあくまで「元手」だけですから。元手を得たら、あとは自分で増やせばいいんですし、増やさなくてはいけないんです。
どんなに良い大学を出ても、あくまでそこで得られるのは「元手」でしかありません。それが少し多いとか、少し質がいいとかいうだけの話です。学歴にあぐらをかいて学ぶことをやめてしまっては、その「元手」はどんどん減るばかりでしょう。知識というのは学ばなければ減っていくばかりですから。
でもこの「元手」はとても大切なものです。たとえば英語なら、中学レベルをきちんとマスターすれば日常会話には困りません。国語なら中学の教科書をちゃんと読めるなら、世の大半の本は読めます。
本来は買うべきその「元手」を、誰もが与えられている社会。これはとても恵まれていると思います。社会からほぼ無償でそれをプレゼントされるわけですから。・・・とはいえ僕は学校が嫌いでしたし、今からどこかの学校に行けと言われても「それだけは勘弁」と思うでしょうけれど。それでも本当にありがたいプレゼントを与えられていたんだなと、感謝の気持ちは今更ながら抱きます。このプレゼントがなかったら、僕は聖書を読むこともなかったでしょうし。このプレゼントをもらえる社会に生まれたこと、そのことからすでに神様からのプレゼントだったのかと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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