主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
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聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、 サムエル記第一の18章です。よろしくどうぞ。
サムエル記第一 18章8節
サウルは、このことばを聞いて激しく怒り、不機嫌になって言った。「ダビデには万と言い、私には千と言う。あれにないのは王位だけだ。」(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
サウル王は部下のダビデを初めは気に入って可愛がっていましたが、次第に彼を嫌うようになりました。それはダビデが次々に大きな戦功を立てて、人々が「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」としきりにダビデを褒め称えたからでした。サウル王は部下であるダビデに嫉妬したのでした。やがてこの亀裂はさらに大きく広がり、サウル王はダビデの命を狙うようになりますし、最後はダビデによってサウル王は非業の死を遂げることとなります。
上司が部下に嫉妬する。現代社会でもありがちなことですが、これほど非生産的なこともあまりありません。上司は部下の功績を単純に喜べばいいんです。部下が功績をあげれば、それは自分の功績にもなるんですから。部下のダビデが優秀なら、それを従えるサウルも立派な王様だということになるのですから。歴史を見渡してみましても、上司が部下に嫉妬して良い結果になったことなんてありません。
しかし、サウルの気持ちもわかります。サウルは他の王とは違い、血統によって選ばれた王ではありませんでした。もし血統によって選ばれていたなら、ダビデがいくら功績をあげても「彼は王族の血を引いていないのだから自分の地位が脅かされることはない」と安心もできたのでしょうが、サウルにはその安心はありませんでした。サウルは神によって「はい、君が今日から王様だからよろしく」と選ばれた王でした。「神に選ばれた王」なのですから、彼が信仰篤い人であったなら「神様に選ばれたのだから」と堂々とその地位に座り、ダビデの功績も素直に褒めることができたでしょう。しかし残念ながらサウルは信仰の人ではありませんでしたから「神に選ばれた」という事実では、自分の地位の後ろ盾として頼りないと思っていたのかもしれません。それで「ダビデに自分の地位が脅かされるのではないか」と恐れたんです。
王に限らずどんな地位や仕事であれ、「自分は神によってここに置かれているのである」という自信があるのなら、心は穏やかです。他の人に嫉妬する必要なんてありません。しかし現代の僕たちにとっても、それはとても難しいことです。嫉妬というのはどんな人にも大なり小なり起こるものです。だからこそ、そんな嫉妬心が起こった時にこそ「自分は神様によってここに置かれているのだ」ということを思い出したいと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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