主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、ルカの福音書の16章です。よろしくどうぞ。
ルカの福音書 16章10節
最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
とても有名な聖句ですが、この聖句、実は僕はあんまり好きではありませんでした。それはこの聖句を引用して「大きなことをできないのは、小さなことができてないからだ!」とか「大きなことをできる私には、君のしている小さなことなんて楽勝なのだ!」のような、いわゆるマウンティングをするような方と、いくらか出会ってしまったことがあるからです。
しかしある時ちょっとよく考えてみました。この聖句は決して小さなことを「できる」とは言っていません。「できる・できない」ではなく「忠実・不忠実」の話をしています。では「忠実である」とはどういうことでしょう。
僕は「忠実である」とは「感謝すること」ではないかと思いました。時代劇なんかによく出てくる「忠義者」というのは、ほぼ必ず主君に対して感謝の念を強く抱いています。恩義を感じてそれに感謝し、その結果として「忠実である」という姿勢が出て来ます。感謝なしに忠実であることは人間にとって難しいことです。感謝なしに、いやいや忠実であろうとすれば、いつか必ず破綻します。忠実であることに感謝は不可欠です。
と、いうことは、この聖句は「小さなことに感謝する人は大きなことにも感謝し、小さなことに感謝しない人は大きなことにも感謝しない」と読み替えることができます。そうしてみると、僕はすっかりこの聖句に対する苦手意識がなくなりました。いきなり何かに忠実であろうと無理をするのではなく、感謝ポイントを探すことが、無理なく忠実であるコツなのかと思います。
毎日の食事に感謝できる人は、時々食べることのできるごちそうにも感謝します。ごちそうに感謝できない人は、毎日の食事にも感謝できません。こう考えると、「小さなことに感謝できる人は、大きなことに感謝するのは楽勝!」ということになります。つまり小さなことをちゃんとできる人には、大きなことは楽勝なんです。
大きなことを成し遂げるには、小さなことに感謝することがまず第一歩。小さな一つ一つに感謝できれば、大きなことは楽勝なんです。そう考えると心が楽になりませんか?
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
【おねがい】
クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。