主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、ヨハネの黙示録の10章です。よろしくどうぞ。
ヨハネの黙示録 10章4節
七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天からの声がこう言うのを聞いた。「七つの雷が語ったことは封じておけ。それを書き記すな。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
黙示録はいわゆる世の終わりのことが書いてあるので、非常に解釈が難しい書です。「七つの雷が語る」なんて言われても、それが本当に文字通りに起こることなのか、比喩として書いてあるのか分かりません。雷が、しかも七つの雷が本当に語るのならそれはもちろん驚くべきことですが、もしこれが比喩だとしても「七つの雷」に喩えられるものとはどんな存在なのか想像もできませんから、きっとそれが目の前に現れた時には僕は大いに驚くことでしょう。はい、どっちにしろ驚くべきことが起こるんです。それがどんなことかはよく分からないにしても。
ただ一つ分かることは、その雷が何を語ったのかは、黙示録の著者であるヨハネは確かに聞いて知っていたけれど、それを僕たちが知ることは許されていないということです。ヨハネは雷に語られたことを多くの人に伝えるために、それを書き留めようとしましたが、神様は「書き留めないで!これは君だけの心に秘めておいて!」と命じました。つまり神様はヨハネに「ここだけの話」とか「オフレコ発言」みたいなことをしたわけです。その内容がどんなものなのか、僕たちはもちろん気になりますけれど、知ることはできません。
情報というのは、知るべき人が知ってこそ意味のあるものです。反対に、知るべきでない人に知られてしまうと、時として良くない結果をもたらすこともあります。人間は本能的に様々なことを知りたがりますが、知ることが許されていない情報もあるわけです。現代社会で言えばたとえば他人の個人情報もそうですし、国家機密とか軍事機密なんかもそういう情報にあたるかと思います。
とはいえ近頃のお役所の情報公開はあまりにも「黒塗り」が多過ぎて「これじゃ何も公開してないのと変わらないよ……」なんて思わされることも多々ありますが、だからと言って一切の「黒塗り」を認めない、なんてことになったら個人情報も国家機密もあらゆるところにダダ漏れになってしまいますから、それはそれで非常に困ったことになるわけです。情報というのは適切な人に、適切な分だけ届かなくてはいけません。それは少な過ぎても多過ぎてもいけないんです。
そしてこれは、神様の御業についても同じなんだなと、今日の箇所を読んで思いました。七つの雷が語ったことはヨハネには知るべき情報であったけれど、他の人にはそうではなかったということです。これについて神様に「情報公開を!」と求めても、きっとそれはいつかふさわしい時がくるまでは教えてもらえないのだと思います。そしてこのことは、僕たちはいくら熱心に祈ったり聖書を学んだりしても、神様の御業のすべてを知ることはできないのだということを示しています。
知らないことは気になるけれど、しかし、知らないことにこそ、ロマンがあるのです。この世界には人間の知り得ないことがある。そう思えばワクワクもしてきますよね。
もちろん、お役所の「黒塗り」な文書はもうちょっとなんとかなりませんか……とも思いますけれど。そこにはあんまりロマンは感じませんけれど。でもまぁ、色々と事情があるのだろうなということはお察しします。
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
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