主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、申命記の33章です。それではよろしくどうぞ。
◆申命記 33章1節
次は神の人モーセが、その死を前にしてイスラエルの子らを祝福した、祝福のことばである。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
担任の先生が「最後の出席をとります!」と涙ながらに生徒一人一人の名を呼んで励ましの言葉をかける・・・というのは、卒業式の定番の名シーンですが、もしその時に「え?先生、僕の名前を飛ばした・・・?」なんてことがあったら、その生徒は大ショックですよね。「え、、、先生は僕のこと忘れてしまったの?嫌いなの?それにしたっていくらなんでも・・・」と、一生の傷になってしまうかもしれません。グレる可能性も一気に倍増してしまいます。ですからきっと、世の先生方は卒業式の「最後の出席」の時には決して名前を飛ばしたりしないように、細心の注意を払うのだと思います。
今日のシーンは、モーセが世を去る直前に、イスラエル民族に対して最後の祝福のことばをかけるシーンです。モーセは丁寧に、イスラエル12部族の一つ一つに祝福と励ましのことばをかけています。死の直前で、気力も体力もしんどいでしょうに、丁寧にこれをやるモーセさんはすごい!
・・・と、思いきや、なんとモーセさん、実はここで重大なミスした可能性があります。なんと12部族のうち、シメオン族へのことばだけ、聖書には記載がないんです。どうしてここにシメオン族についての記載がないのかについては、聖書学者の中でも色々と説があるようで、よく分かっていません。モーセはちゃんとシメオン族についても語ったのに、それを書き留める人がミスした可能性だってあります。しかしもし本当にモーセさんがシメオン族を飛ばしてしまっていたのだとしたら、「えーーー!僕たち忘れられてる??もしかしてモーセさん、僕たちのこと嫌い!?」と彼らはまちがいなくショックを受けたでしょう。
うーん・・・可哀想なシメオン族。でも「シメオン」って、ギリシア語読みすれば「シモン」で、新約聖書では何人もこの名前の人が活躍しています。もしシメオンが神様から嫌われていたり、イスラエル民族の中でないがしろにされる存在なのであれば、「シモン」という名は後世でそんなにメジャーになることはないでしょうから、きっと神様もモーセさんもシメオン族を嫌いだったわけじゃないと思いますよ!
ちなみに、キリシタン大名として有名な黒田如水さんの洗礼名もシメオンです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
【今日の小ネタ】
「カレー」の語源は昔の南インドの方言で「ソース」とか「汁」という意味で、必ずしも辛いとは限らないそうです。