皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、歴代誌第二の13章です。それではよろしくどうぞ。
◆歴代誌 第二 13章3節
アビヤは精鋭四十万の勇敢な戦士の部隊を率いて戦いに臨んだ。一方、ヤロブアムも八十万の精鋭の戦士を率いて彼に対抗し、戦いに備えた。
ソロモン王の没後、イスラエルの国は北と南に分裂しました。そして戦争になりました。南のアビヤ王は40万の精鋭部隊を率い、それに対して北のヤロブアム王は80万の精鋭で対抗しました。どっちもものすごい大軍ですよね。
しかし、この数字、どうもずいぶん誇張されているようにも思えます。なにせ時代は紀元前10世紀です。世界人口は今よりもずっと少なく、一説では1000万人に届かないくらいだったのじゃないかと言われています。当時の世界で最大と言われたバビロンの街でさえ、その人口は10万人ほどだったそうです。ですからどちらも小国であった南北イスラエルの戦いで両軍合わせて120万人というのはちょっと考えにくいんです。おそらく実際はもっとずっと少ない兵数での戦いだったかと思われます。
三国志で有名な赤壁の戦いでも、曹操軍は「俺たちは100万の軍勢だぞー!」と自称しましたが、実際の兵力は15〜20万人ほどだったと言われていますし、日本の戦国時代でも大名たちは実際の兵数の倍くらいの数字を自称するのは当たり前のことでした。自分の軍の数を多く言うというのは、聖書に限らず古今東西どこにでも生じることだったんです。しかもその数は後世の歴史家の手にかかるとさらに膨れ上がったりもします。ですから歴史書に記された「大軍」の数が、実際の兵数の10倍くらいになることは、往々にして起こることなんです。戦争の当事者も「盛る」し、歴史家も「盛る」わけです。というわけで聖書に限らず、歴史に残っている戦いの兵数を読む時はそれが「盛った数字」なのかどうかを考える必要があります。
現代日本だって、大きなデモがあった時の参加者の人数は「主催者発表」と「警察発表」で何倍もの開きがあることはザラです。この場合はそもそも両者の集計方法が違うので、「どちらかが嘘をついている!」とは一概に言えないですが。
とはいえ、聖書に記されているこの戦いの規模が仮に実際は10分の1の総数12万程度だったとしても、当時の世界人口を1000万人とすれば、世界の1.2%の人が参加したことになるのですから、少なくともかなりの大戦だったのだろうということはわかります。世界人口の1.2%って、現代に置き換えればなんと8400万人ですからね。
・・・だとすると、ちょっと思うところがありませんか。もしかしたらこの40万と80万という数は、それぞれの国の総人口を示しているのかもしれないですよね。そう考えるとなんとなく現実的な数字ではあるのかなーと思えてきます。あくまで推測でしかないですけれど。昔は職業軍人なんて基本的にいませんから、兵士と一般市民の区別ってすごく曖昧だったんです。だとすればこの数字はそれほど「盛った数字」ではないということになります。
ここまで話しておいて今さらこんなことを言うのもナンですが、そもそも、聖書のこの箇所のメッセージとしては、この兵力の数字というのは実ははっきり言って割とどうでも良いことなんです。大切なのは「南軍は北軍の半分の兵力しかなかった」ということです。敵は自分の2倍、しかも前と後ろから挟み撃ちをうけるという圧倒的に不利な状況から、神様の助けによって南軍が勝ったのだ、ということが大切なのです。
ちなみに世界人口は、イエス様の頃には3億人くらいだったと言われています。1000年で30倍に増えたことになります。そしてそれから2000年後の現代で約25倍に増えて70億人です。ですから、古代の時代には現代よりも激しい人口爆発が起こっていたということですね。まぁ古代の話はすべてが推計でしかありませんから、はっきりしたことは言えませんけど。
聖書ってこんな風に数字に着目してみても面白い世界が広がります。必ずしも「何かありがたい教えを得なくちゃ」なんてプレッシャーを感じながら読む必要はないんです。
それではまた。
主にありて。MAROでした。