皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、ダニエル記の6章です。それではよろしくどうぞ。
◆ダニエル記 6章5節
そこでこの人たちは言った。「われわれはこのダニエルを訴えるための、いかなる口実も見つけられない。彼の神の律法のことで見つけるしかない。」
ダニエルは「聖書界イケメンランキング」を作ったら必ずTop5には入るであろうイケメンで、しかも非常に優秀な人物でした。それでバビロニアの王様に気に入られて大出世を遂げました。しかし、それを面白く思わない大臣たちもいて、彼らはなんとかしてダニエルの悪いところを見つけて陥れようとしましたが、ダニエルは見事に清廉潔白で仕事にも熱心だったので、陥れることができませんでした。
そこで彼らは、ダニエルの信仰に目をつけました。ダニエルは信仰熱心な人だったので毎日3回、主なる神にお祈りをする習慣を持っていましたが、彼らは王に取り入って「お祈り禁止!」という法律を新しく作ったんです。そんな法律ができても、ダニエルは祈ることをやめませんでした。それで彼らは「王様、ダニエルは法律を破って毎日お祈りをしていますよ!処罰しなきゃいけませんよね!!」と王に迫りました。王はダニエルを気に入っていたので、処罰したくなかったのですが、自分で認めた法律を曲げるわけにもいかず、「大臣たちに騙された!」と思いつつも処罰を認めました。
とにかく、ついにダニエルは「ライオンのウヨウヨいる洞窟に一晩投げ込まれる刑」に処されてしまいました。もちろんこれは事実上の死刑です。「よっしゃ、これでダニエルもおしまいだ!」と、大臣たちはほくそえみましたが、なんと、一晩立って王様が洞窟を見に行くと、ダニエルは元気に生きていました。神様がダニエルを守って、ライオンをおとなしくさせていたからです。最終的には、その悪い大臣たちの方が逆に「ライオンのウヨウヨいる洞窟に一晩投げ込まれる刑」に処されて死んでしまいました。
誰かを陥れるために法律を利用するというのは、現代社会でもよくあることですが、そこで用いられるのは大原則として、既存の法律です。誰かを陥れるために新しく法律を作るなんてことはまずできませんし、考えません。少なくとも日本では。まさに「そこまでやるか」です。プロレスで言えばリングに上がった後で新しいルールを追加して、そのルールでの反則勝ちを狙うくらいの卑劣な行為です。藤波辰巳さんのドラゴン・スープレックスは「危険すぎる」ということで禁止されましたけど、それだって試合前に禁止ルールが作られたのであって、リングに上がってから「やっぱりその技ダメ」と言われたわけではないですからね。
・・・と、プロレスの話が始まると長くなるのでこのくらいにして。
しかしとにかく、実際に新しい法律を作る作らないは別として、人が人を陥れようとする執念、これには現代でも時々驚かされます。政治の世界なんかをニュースや新聞でみていますと、政敵のほんの小さな失言や失敗も見逃さずに食らいついて、これでもかと攻撃するということが、与党・野党問わずに日々行われています。政治の世界は報道によってある程度は公開されているので、もしかしたらまだマシかもしれません。まったく報道されない世界では、もっと露骨なことが行われているのかもしれません。そして、それによって悲しんだり嘆いたりする人も多いのだと思います。
人を陥れる執念、それをもっと建設的な方向に使えば、もっとずっとみんなも、そしてその人自身も幸せになると思うんですけれど。しかしそう分かっていてもそうできないのが、人間の罪なのかもしれませんね。
それではまた。
主にありて。MAROでした。