「宗教の自由」をめぐる日米の動向 藤井修平 【宗教リテラシー向上委員会】

現在、「宗教の自由」をめぐって日本と米国でほとんど正反対の動きが進行している。米国では6月に、人工妊娠中絶を憲法上の権利として認めた1973年の最高裁判決が覆された。これにより26の州で中絶の禁止や制限措置が講じられることが見込まれている。この判断の背景には、前トランプ政権が3人の保守派の最高裁判事を指名し、保守派がリベラルの数を大きく上回る構成になったことがある。

そして、そのような法的環境はますます宗教の自由の拡大に向かっている。上述の判決を下した1人であるサミュエル・アリート判事=写真=は、7月21日の「宗教の自由サミット」でこのテーマについて講演している。その内容は、世界ではさまざまな信仰をもつ人が宗教を理由に迫害を受けるなど、宗教の自由が脅かされている状況にあり、宗教的でない人に対しても、宗教の自由が特別に保護される価値があることを納得させなければならないとするものであった。

ここで重要なのは、宗教の自由(Religious liberty)とは何かということである。アリート判事は、それは礼拝の自由(Freedom of worship)と異なるものだとする。後者は自宅や教会などで自由に宗教活動を行うことに対する保護を意味するが、宗教の自由はそれ以上のものであると彼は述べている。つまり、公共空間での宗教的活動や発言に対しても自由が保障されるということである。そのような自由を行使した例が中絶禁止法であり、過去に裁判になった同性カップルに対するケーキ作りの拒否だといえる。このような宗教の自由が、日本語の「信教の自由」より幅広いものであることは理解できるだろう。

翻って日本の状況を見てみれば、統一協会に対する批判の影響が、徐々にその他の宗教にまで及び始めているように感じられる。11月1日には宗教2世に対するアンケート結果が公表され、宗教を理由とする虐待への対策などが求められた。これは前述の礼拝の自由の範疇に含まれる、家庭や宗教施設内での行為についても社会通念に照らした制限に向かっているといえる。

無論、これは判断がとても難しい問題である。日々の報道で明かされているように、一方では宗教と親からの虐待や金銭収奪に苦しんでいる人々がいる。ただ他方で虐待一般の防止ではなく宗教を名指しした対策を行うのであれば、礼拝の自由さえも縮小が意図されているのであり、アリート判事の言う宗教の自由が脅かされているという状況にまさに当てはまってもいる。一つの方策として、「カルト」と通常の宗教を区別して、前者のみを規制の対象とするものもあるが、今度はそれらの線引き問題が生じてくる。

このような状況で提案したいのは、両極端の立場すなわち宗教への特別な保護と、宗教への特別な制限の立場を比較しつつ、宗教の自由とは何で、どこまで保障されるべきかについて議論を行うことである。その際の比較対象として、米国の状況は大いに参考になるだろう。

 

藤井修平(宗教情報リサーチセンター研究員)
ふじい・しゅうへい 1986年東京生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東京家政大学講師。進化生物学・認知科学を用いた研究を中心に、宗教についての理論と方法を研究している。共訳書にA・ノレンザヤン著『ビッグ・ゴッド』(誠信書房)がある。

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