「牧師と教会員のための『こんな時どうする?』~教会実務を神学する~」をテーマにした首都圏宣教セミナー(主催:OCC首都圏宣教推進協力会)が5月22日、インターネット会議ツール「Zoom」を使って開催された。全国から約400人がオンラインで参加した。
2016年に第1回目が開催されて以来、これまで牧師や信徒のリーダーを対象にさまざまなテーマを取り上げ、伝道の励ましとなるような学びと交流の場を作ってきた首都圏宣教セミナー。8回目となる今回は、教会実務にスポットを当て、『教会実務を神学する』(教文館)を刊行したばかりの山崎龍一(やまざき・りゅういち)さんを講師に招いて、信徒の立場から、一般企業とは違う教会ならではの実務の問題を明らかにし、その取り組み方を学んだ。
セミナーは、午前中に山崎さんが2回の講演を行い、午後からZoomのブレークアウトルームを使って、弁護士、行政書士、税理士、社労士、宅建士、保険フィナンシャルプランナーによる分科会が開かれた。その後には、「牧師との対話から生まれるもの〜牧師の本音、信徒の応答」と題した座談会も行われた。
講演者の山崎さんは、1987年に大学卒業後、一般企業の会社員、公益法人の職員を経て、93年にKGKの主事になり、事務局長を経て、2008年から5年間総主事を務めた。現在はお茶の水クリスチャン・センター常務理事。太平洋放送協会理事、東京基督教大学常任理事、聖書宣教会監事、早稲田奉仕園監事。
講演1では、「この世に生きる教会の営み〜教会に潜みうるこの世性との戦い」と題して、教会としてのマネジメントのあり方を探った。キーワードは、「物事を教会的に考えること」と「この世的なことと、キリスト教的なこととのぶつかり合いをきちんと納めていくこと」の2つ。
教会実務は、経済、法律、税金、不動産契約などこの世的ルールを守ることが求められる分野であるため、信仰の本質ではないと思われがちだが、教会実務を扱う過程では、福音理解が本質的に問われる。山崎さんは、「やっぱり牧師も社会経験が必要だよね」とか「そういう態度はキリスト者である前に人としてどうかと思うよ」など教会の中で交わされるさり気ない会話に注視し、そこに戦時中、神社参拝を常識の問題とし、教義、礼拝、信仰告白に至るまで文部省の認可が必要だった宗教団体法を受け入れてしまったキリスト教会の姿を重ね合わせた。
「現在の宗教法人法は、礼拝施設の財産を所有して、その財産を維持管理するための法律ですから、信仰には一切関わってきません」と明らかにした上で、宗教団体に対する考え方が、文化庁とは相反することを伝えた。
文化庁による宗教法人法の概念は、宗教的事項と世俗的事項の2つの面があり、財産も不動産も信仰者として管理するものと考えるキリスト教世界観と合致せず、法令はそれとは矛盾することになる。山崎さんは、このことを「せめぎ合い」と表現し、この「せめぎ合い」の部分を法令史上主義に陥ることなく神学的思考を働かせながら、法人規制を遵守する着地点を探していく丁寧な作業が必要だと話す。
信仰告白と同じように、実務の分野でも「言葉」を大事にすることに強くこだわる山崎さん。たとえば、教会にとっての「公」「社会」とは何か、「献金」を捧げるという行為をどのような言葉で表すべきかなど、個々の教会の歴史や培ってきたものを大切にしながら、牧師や教職者と共に考えておくことを勧めた。そして、「せめぎ合い」の着地点を探す作業も、まずは、教会としての「言葉」を整えられるというところからスタートしたらいいのではないかと提案し、次のように締めくくった。
「宗教法人だから、公益法人だから、教会も社会的責任を果たすためには、コンプライアンスが大切だ」と言われると非常に正しく聞こえます。しかし、その正しく聞こえることで教会が教会として命を失ってしまった歴史が1930年代にありました。だからこそ言葉にこだわります。これは信仰の問題じゃあない、社会常識の問題だよ、と言ってきたことにより信仰自体が失われた時代があった歴史をきちんと省みて、今の教会実務のことを考えていきたいと思っています。