Q.週日残業の多い共働き家庭にとって、日曜日は家族と過ごす貴重な時間です。礼拝を休んで家族を大事にすることはキリスト教の説く愛のわざに反しますか?(30代・男性)
キリスト者にとって日曜日は、神を礼拝すべき聖なる休日です。けれども異教国である日本においては、学校でも一般社会でも、好んで重要な行事が日曜日に行われます。
平日、日曜の区別なく仕事が割り当てられる職場も少なくありません。 ご質問の共働きのご夫婦の場合は、平日は残業があって朝から夜まで働き続け、疲れて迎えた日曜日を、意を決して家族のための時間にしたいと考えるのですが、それでは礼拝に参加することができないというジレンマにぶつかります。幼い子どもにとって、親と共に過ごす時間ほど嬉しいものはありません。
どんな犠牲を払っても子どもと一緒に過ごす時間を作りたいというのは、常に親の心からなる願いであり、親と共に特別な時間を過ごした子ども時代の思い出は、子どもの人生の宝となります。
人間にとって最も大切な教えは、「心を尽くして神を愛し、また、自分を愛するように隣人を愛すること」であると主イエスは教えました。家族をおいて自分だけが礼拝に出席することも、神を忘れて日曜日を家族のために用いることも、共に主イエスの教える愛のわざとは異なるでありましょう。
家族と共に礼拝に出席する第三の道があります。この道には神の恵みがあり、同時に、真の意味で家族を大事にすることにつながります。人間の幸いは神によって与えられます。家庭の平和も神によって与えられます。個人にとっても家庭にとっても、神抜きの平和、神抜きの幸いがあるとは思われません。
神の独り子、イエス・キリストが平和と幸いの主であり、キリストと共にいることに人間の幸いがあると考えられるからです。
神は人間を平日の労働から解放し、神が世界と人間の造り主であることを記念する日として、日曜日を設けられました。 家族と共に神を礼拝するならば、それが、最も日曜日にふさわしい過ごし方と思われます。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。