【クリスチャンな日々】第18回 嫌なことを幸せに変換する「構文」 MARO

主の御名をあがめます。

MAROです。
またお会いできてうれしく思います。今週もしばしお相手させていただきます。よろしくお願いします。

ようやくもうすぐ梅雨が明けそうですね。梅雨が終われば夏が来ます。「雨も嫌だけど、暑いのも嫌だなぁ」と思っている方も多いかもしれません。でも、そう考えてしまうと、冬も「寒いから嫌だなぁ」春も「花粉症だから嫌だなぁ」秋も「なんかセンチメンタルだから嫌だなぁ」・・・と、あらゆる季節が嫌になってしまいます。もちろん極論ではありますけど。

でも、どんなに嫌がったって梅雨が終われば夏が来るんです。夏が終われば秋が来るし、秋が終われば冬が来ます。季節の移ろいに抵抗しようとしたって無駄です。冬が嫌いだから冬物の服は着ない!と抵抗してみたところで、余計に寒い思いをするだけです。だったら、楽しみにした方が幸せになりやすいと思いませんか?

聖書には「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」という有名な言葉が出てきますけど、この「構文」をあちこちに当てはめると、一見「ちょっと嫌だな」ってことも、「悪くないもの」に変えられます。「◯◯は幸いです」に、「嫌だな」なことを代入して、それからその理由を考えるんです。例えばこんな感じです。

「夏が暑いのは幸いです。かき氷がおいしく食べられるし、海やプールは楽しいからです。また、薄着で身軽なので動きやすいし身支度も簡単です」
「冬が寒いのは幸いです。湯豆腐がおいしく食べられるし、雪が降れば綺麗だからです。また、デートの時とかに自然にスキンシップをとりやすくなります」

画像:写真AC

人生に訪れる、抵抗しようのないことは、それが嫌でもこんな風に置き換えて幸せになった方がいいです。抵抗できること、例えば太ってしまうのが嫌だ、ということについては、確かにこの「構文」で幸せに置き換えることもできるでしょうけど、そもそも嫌ならそれを避けてダイエットすることだってできます。他にもいろいろそんな例はありますけど、自分で避けられることまでこの「構文」で置き換えてしまうと、なんかただの怠け者の言い訳みたいになってしまうので、必ずしも良くないかもしれません。が、自分で避けられないことはこの「構文」で幸せ変換してしまいましょう。

季節以外に、避けられない変化って「年齢」もそうですよね。子どもの頃って、自分が子どもであることが嫌で「早く大人になりたい!」って思いませんでしたか。でも大人になってから振り返ってみると、楽しい幸せな時代だったなとか思います。実際のところ、僕は小さい頃はとある施設で生活していましたから、端から見ればいわゆる「幸せな子ども時代」ではなかったかもしれません。それでも思い返すとそれなりに幸せな時代だったのかなと思います。少なくともそこでの経験が今でも生きていますから無駄な時代だったとは思いません。有意義な時代ではありました。

画像:写真AC

子ども時代に、人それぞれの意味があるように、青年時代にも壮年時代にもそして老年時代にも、それぞれ意味があります。年老いるのは嫌だ!と思っている方は多いかもしれませんが、きっとそこにも幸せのための意味がありますし、どんなに抵抗しても人間は老いるのですから、嫌がるよりも楽しみにする方が得です。僕は白髪のとても多いタイプなのですが、白髪を嫌だとは思ってません。むしろ「真っ白になったらかっこいいなー。楽しみだな」くらいに思っています。遺伝的に可能性は低そうなのですが、もしハゲたとしたら、その時は全部剃ってスキンヘッドにすると決めていて、それはそれで楽しみです。
人間は「◯◯は不幸なことだ」と、勝手に決めてしまうことがよくあります。しかし神様はその「◯◯」の中に、ちゃんと幸せを用意してくださっているんです。クリスチャンは日々「私たちの日用の糧を今日もお与えください」と祈りますが、この「日用の糧」には食べ物だけではなく、幸せだって含まれているんです。それなしに人間は生きられませんから。そしてその祈りは日々必ず満たされています。それが神様の約束だからです。

今のコロナ禍も「避けられない事態」です。でもこの閉塞感の中にも、探せばいくらでも新しい幸せが転がっています。「家にこもる人は幸いです。家族との時間が増えるからです」とか「料理の練習をする時間が増えるからです」とか「試験勉強がはかどるからです」とか。

幸せを見つける練習、大切です。この「構文」ぜひ使ってみてくださいね。

たくさん、みつかりますように。それではまたいずれ。MARO でした。

主にありて。

 






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