Taroです。今日はキリスト教の洗礼についてお話ししましょう。洗礼(せんれい)、バプテスマとも言います。
「◯◯の洗礼を受けた」ということばはよく耳にしますね。新人がその世界を知る「痛い」経験をした場面などで使われています。ややネガティブな使われ方が気になりますが、おそらくその世界で生きていく上での通過儀礼的なニュアンスが込められているのでしょう。そのような「洗礼を受けた」人は世の中にゴマンといることになるでしょうね。
では、本当の洗礼とは一体どのようなものなのか。ここでは本家本元であるキリスト教会の洗礼についてご紹介したいと思います。やはり受けるならこちらの洗礼を受けることをお勧めします。
洗礼を受けるとは
それではまず、洗礼を受けるとは一体どういうことなのでしょうか。その意味について2、3見てみましょう。
洗礼を受けないとクリスチャンにはなれない?
洗礼とはキリスト教入信の儀式と一般的には言われています。それは間違いではないのですが、洗礼を受けることがクリスチャンになるため(救いの)の条件ではありません。実はあべこべなのです。クリスチャンになるために必要なことは、イエス・キリストを個人的な救い主として心に受け入れることだけで、その信仰の表明が洗礼と言えます。
洗礼とは 「一体化」の象徴
洗礼とは、そのイエス・キリストと一体となることを象徴する儀式と言われています。洗礼は教派によって違いはあるものの、基本的には身体を水の中に浸す儀式です。これはキリストと共に古い自分が死に、キリストと共に復活して新しい命を生きることを表しています。
洗礼とは 「結婚式」に似ている?
イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れ、その信仰の表明が洗礼だと述べましたが、それは結婚式にも例えられています。キリストの花嫁となったことを皆さんの前で披露して、列席者に証人となってもらうというところなどよく似ていますね。
洗礼 その方法、形式
次に、洗礼の仕方について簡単にご紹介しましょう。教会で洗礼はどのように行われているのでしょうか。