作家で僧侶の(せとうち・じゃくちょう)さんが9日、心不全のため京都市内の病院で死去した。99歳だった。
2002年には、聖路加病院名誉院長で日野原重明(ひのはら・しげあき)さんとの対談本『いのち、生ききる』(光文社)を出版している。クリスチャンと僧侶の、また医師と作家というまったく異なった分野で活躍する二人が、お互いの生き方に共感し、「生老病死」の人生について語り合う稀有な対談となっている。
その中で興味深いのは、世間を仰天させた得度だが、瀬戸内さんはクリスチャンになろうと考えたこともあったということだ。また、出家の理由は見当たらないと言い、日野原さんが、日本赤軍がハイジャックした「よど号」に乗っていたことが人生の大きな転機になったという話をなぞりながら次のように語っている。
何か、誰かが首根っこをつかんでぐっと引っ張ったという感じなんです。ほんとうに、自分の意思というより、何かに引っ張られたとしか思えない。その意味で(日野原)先生と同じように、大きな転機が向こうからやってきたという感じですね。(41ページ)
進学した東京女子大学も、女学校の暗い廊下にはられていた美しいチャペルの写ったポスターを見て「こんなところに行きたいな」と思ったと述べ、多感な時期にキリスト教的なものに憧れを抱いていたことを明かしている。また、イエス・キリストが十字架にかかったことを「代受苦」という言葉で表現し、仏教にはない概念だが、死別の苦しみを負っている人を慰めることができると話す。
瀬戸内さんは徳島市出身で、大学を卒業後、本格的に小説の執筆をはじめ、1963年には自伝的小説「夏の終り」で女流文学賞を受賞した。自我に目覚める戦後の新しい女性の生き方に多くの女性読者から支持を受け、ベストセラー作家となった。1973年、51歳のときに作家として新しい生き方を模索したいと岩手県の中尊寺で得度し、京都に「寂庵(じゃくあん)」を構え、執筆と同時に法話などに取り組んできた。1997年には文化功労者に選ばれ、2006年には文化勲章を受章している。
晩年まで精力的に活動を続け、2017年には、小説家としての自身の生涯と闘病の体験を題材にした長編小説『いのち』を刊行した。同書においても「死ぬその日まで自分の可能性をあきらめないで、与えられた日々の仕事に全力を尽くすこと」と述べている。