10月26日「訓練が無意味で空虚に感じる時」

 多くの場合、ほとんどの訓練は退屈で命がないように感じる。信仰者はこのことにもっと注意を向けるべきである。アメリカでは特にそうなのだ、何かを長時間待たなければならない時、待ちきれないことがある。わたしたちは訓練において、安直な刺激を見出せないと、直ぐに「これは駄目だ」と安易に判断してしまいがちである。しかし、私たちが「活気がない」とか、「味気がない」とか、「退屈」というものは、実は単純に私たちの目覚めが遅いことに他ならない。それを我慢するしかない。

 「生きる」というものは、そもそも、端的に「単調」で「退屈」」なものである。だから、キリスト教的生活において「もっと」と願うシンプルな欲望が出てくる。辛抱強く待ちなさい。それは聖霊の御業である。聖霊の働きにシンプルに身を委ねなさい。そうすれば、わたしたちのうち内に聖霊が働いてくださる。
 

その間に、わたしたちが待っている間に疲れ果ててしまう時がある。神の御霊がわたしたちのすぐそばで助けてくださる。わたしたちが如何のように何を祈ったらいいのか分からない時、それは問題ではない。御霊自らわたしたちのために、わたしたちの中で、言葉にならない嘆きと痛みを伴う呻きをもって祈ってくださる。
 ―― ローマの信徒への手紙8章26節
 

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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