10月25日「期待に満ち、そして、活き活きと」

希望によって、わたしたちは期待し、活き活きとさせられる。そのようにして、希望はクリスチャンの生活に影響を与える。希望を僅(わず)かしか持たない人々は、単調で退屈な人生を生きていく。というのも、そのような人は「次に何が起こるかを知っている」と考えているからだ。そういう人は神や周りの人のことや、自分のことを自ら勝手に予測し査定してしまう。「何が起こるかも知っている」と決め込んでいる。

希望を持つ人は、次に何がおこるかを全く知らない人である。そういう人は、神はよきお方だという理由で、これからよいことが起こると期待する。災難が起きた時にも、如何にして神がよいことのために邪悪なことも用いられるのかと期待して見る。希望を持つ人とは、そういう人である。

希望を持つ人は活き活きと神に向き合っている。希望は力強い。希望は刺激的だ。希望はわたしたちをいつもわくわくさせる。希望によって、わたしたちは、予期せぬものを探し続ける。

待つことが妊婦の評価を下げたりしないと同様に、待つことはわたしたちの評価を下げない。わたしたちは、待つことにおいて大きくなる。もちろん、大きくしてくれるものが何であるか、わたしたちは全く知らない。ただ、待ち望むほどに、わたしたちは大きくなり、そのぶんだけ期待が喜びに溢れてくることなのだ。
―― ローマの信徒への手紙8章24~25節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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