10月5日「素晴らしく生きる人生」

創造の枠組みの中においてのみ、わたしたちの人生は「素晴らしいもの」となる。神が愛してくださるので、わたしたちは「愛されている」ものとなる。神が創造してくださるので、わたしたちは「被造物」でいられる。神が啓示するので、わたしたちは「理解」をする。神が命じるので、わたしたちは「応答」する。クリスチャンであるということは「創造」を受け容れることである。神をわたしたちの創造主そして贖(あがな)い主と受け容れ、キリストのうちに益々栄光ある被造物へと日々成長し、喜びを広げ、愛を味わい、平安のうちに成熟する。 ―― それがつまり、クリスチャンであることの意味である。「神の似姿に創造された」ということがどんなに大いなることであるかを、キリストの恵みによって、わたしたちは経験するのである。このような生き方以外には、希望はない。この生き方を拒絶すると、「人間の似姿」のうちに、どうしようもない無用な偽物の神を見て生きることになるだろう。
 

わたしは聖書の一連の流れをこう受け止める。最初のアダムは命を受けた。最後のアダムは命を与える霊である。物理的生命は最初に来た。その次に霊的生命が来た。 ―― しっかりした土台は土から作られた。最後の完成は天から来る
 ―― コリントの信徒への手紙(一)15章45節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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