8月25日「超自然的な興奮」

 幻には終わりがある。聖ヨハネは幻を見て呆然(ぼうぜん)となり、現れた天使の足もとに跪(ひざまず)き礼拝でひれ伏した。天使はその見当違いを叱責(しっせき)する。「そんなことをすべきではない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと、同じ僕(しもべ)仲間、同じ僕なのだ。神をこそ礼拝しなさい。」(ヨハネの黙示録22章19節)。啓示された神を礼拝せずに、顕現(けんげん)した天使を礼拝するということ、ヨハネにとって、これが二回目であった。(ヨハネの黙示録19章10節)礼拝を正しく行うことに、ヨハネはなぜそんなに苦労をしたのだろうか? なぜ、わたしたちも同じことをするのだろうか? 理由は簡単だ。服従するよりも恍惚(こうこつ)状態に耽(ふけ)ることが、より簡単だからだ。神の奉仕に参与するよりも超自然的なものに魅了されることがより簡単だからだ。容易なために、そのようなことが頻繁に起こるのである。宗教による「心酔」は感染症のようなものである。それは周期的に流行する。人々は奇跡によって楽しんでいる状態でいたいと願う。「天使の宗教」は超自然的な興奮をもたらす宗教である。それは、人々をわくわくさせる。そのようなものに長く取り囲まれていると、誰もが足を掬(すく)われ、一般的な興奮状態と呼ばれるようなものに流されてしまう。顕現した天使たちは、いつも、啓示された神よりも高い人気を獲得しているのだ。

パウロが為したことを見た群衆は、狂乱状態になって、リカオニアの方言で叫んで言った。「神々がわたしたちのところに下ってきた! この人々は神々だ!」……バルナバとパウロは出来事に気づき彼らを制止して「あなたがたの為していることは何ですか。いったい何だか、分かるか。わたしたちは神々ではない。あなたがたと同じ人間だ。わたしたちは神のメッセージを届けなければならない。あなたたちを説得しなければならない。このような馬鹿げた神の迷信を捨て、神ご自身を受け入れなさい。生ける神を受け入れなさい。」
―― 使徒言行録11章11節、14~15節a

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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