4月11日「神の義に従わなかったから」

わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。(ローマの信徒への手紙10章2〜3節)

この言葉は、何よりも主イエスを知る以前のパウロ自身の生き方であった。彼はユダヤ人社会で人々の評価を得るために、律法厳守に努め、「自分の義」(成功、栄光)を求めた。そして、律法に落ち度のない自分を誇り、律法にいい加減な人を駄目な人間、罪人と断じた。したがって、罪人と交わり、罪人のひとりに数えられて死んだ主イエスを救い主とあがめる教会をゆるせなかった。彼はこれを撲滅するために、熱心に迫害した。

ところが、ダマスコの途上で、パウロは復活の主イエスに出会った。この出会いによって、彼の目からうろこが取れ(使徒言行録9・18)、能力や業績によって自分の義を求める生き方の間違いに気づかされた。その生き方は、熱心であればあるほど、他者を差別し切り捨てる、まさに神の御心(みこころ)に対する「正しい認識」を欠いた虚偽であることを示されたのである。パウロは、過去の自分を思いつつ、同胞に語りかけている。

パウロの価値転換は、主イエス・キリストによって罪人を赦(ゆる)し、神の義、すなわち神との正しい関係を打ち立ててくださる神の恵みを知ったからであった。神の恵みが支配するところでは、力ある者も、力のない者も、他者と比べて自己を誇ったり、卑下したりすることはない。1タラントンの者はその1タラントンで神の恵みに答えて生きる。たとえ熱心であっても、神に対する「正しい認識」を欠き、「自分の義」を求めることだけに熱心な者は、自分も社会をも滅ぼすのである。

 






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