3月19日「召されて使徒となったパウロ」

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ。(口ーマの信徒への手紙1章1節)

パウロはローマの信徒たちに手紙を出すにあたって、今日の聖句のように自己紹介をした。「僕(しもべ)」とは、当時の奴隷を意味する言葉である。パウロは自分のことを、主イエスが命じられたことを行う奴隷であると言った。これは「イエスは主である」と告白するキリスト者の自己理解である。キリスト者は主の御心を行うために召された僕である。

神を信じるパウロは、信仰の熱心さの故にキリスト教会を迫害した人であった。迫害のために息をはずませてダマスコに向う途上で、パウロは復活の主イエスに出会うという霊的な経験をした。そして、教会の迫害者から一転して、主を信じる者となった。主はパウロを世界に出て行って福音を伝える使徒に任じた。これをパウロは主に「召された」と言う。「召された」とは、主のご用に仕える僕とされたことであるが、パウロはそのことを光栄に思っている。なぜならば、知らなかったとはいえ神に背いた者を、主イエスが捉えてくださり、罪を赦(ゆる)して、神のものとしてくださったからである。パウロは主イエスを通して、罪人を救う神の一方的な憐れみと恵みを知った。

パウロは、今、教会の兄姉たちに向かって「神に愛され、召されて聖なる者となった一同へ」(7節)と呼びかける。パウロは教会の兄姉たちも自分と同じように、主イエスによって神の憐れみと恵みにあずかり、神のご用のために召された人々であることを知ったからである。キリスト者は使徒であれ、だれであれ、神の一方的な憐れみと恵みにあずかり、福音宣教のために主に「召された」ということにおいて、兄弟姉妹である。

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