7月22日「譬え話」

 イエスの好むスピーチの形は譬(たと)え話で、それは事態を真っ向から覆すものである。「譬え話」というものは実に平凡な話に聞こえる。「土地と種」とか「食事とお金」あるいは「羊たち」「強盗と犠牲者」「農夫や商人たち」等、何気ない物語である。さらにそれらは全く世俗的でもある。すなわち、福音書に記されている譬え話の40の譬え話は完全に世俗的である。その中のたった一つの譬え話だけが教会を舞台としており、二つだけが神の名を言及している。イエスが譬え話をしているのを人々が聞いた時、人々はまず「これは神に関してではないな」と直ぐに分かり、それで「この話を聞いたとしても、別に何も、自分にとって脅威にはならない」と感じた。彼らは自己防衛を緩めた。その譬え話が一体どういう意味なのかを考えながら、当惑しながら立ち去ったのだ。譬え話は彼らの想像力に留まっただろう。それから時限爆弾のように、譬え話が彼らの無防備なハートの中で破裂するだろう。まさに、彼らの足元で深淵が口を開ける。その時、人々は気づくのだ。 ―― イエスは神について話していたのだ。彼らは神に侵略されていたのだ、と。

その日イエスが行ったことは物語を話すことだった。つまり、午後に長い物語を話したのだ。それは、預言者を通して言われたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
―― マタイによる福音書13章34~35節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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