「半時間ほどの天の沈黙」と「ヨハネの黙示録」の8章1節には書いてある ―― 神は聴いている。わたしたちが発する一言一句、すべての呻(うめ)き、一つひとつのつぶやき、祈りでの言葉にならない思い全てに、神は耳を傾けておられる。天の全てが静まりかえっている。天使の大きな声や、耳をつんざくようなトランペットのメッセージや、轟(とどろ)くような王座の賛美も、神が聴いているこの瞬間、静まっている。「しー! しー! 小声すらも上げないでくれ! クリストファー・ロビンが祈っている。」【『クマのプーさん』の中で歌われた有名な情景:翻訳者補足】深い信仰の祈りを、神は必ず聴いている。 ―― 湧き上がる「ハレルヤ」の声、厳粛な「アーメン」の応答、「なぜあなたはわたしを見捨てるのですか?」という絶望的な祈り、「この杯を取り除いてください」という呻きと、そして鍛えられて発する「わたしの願いではなく神の御心がなるように」という願い、「天にまします我らの父よ」という信仰深い言葉、「我らの主なる神よ。栄光と尊崇(そんすう)と能力とを受けたもうは宣べなり。汝(なんじ)は万物を造り給(たま)い、万物は御心によりて在し、かつ造られたり」という喜びあふれた言葉など全てを、神は聴いておられる。全ての詩編は、何世紀にもわたり、騒々しい声で、静かな声で、怒りにあふれた声で、に満ちた声で、読み上げられ、歌われてきたのである。その詩編は今も響いて聞き届けられている。 ―― 一人ひとりの声として、丁寧に、正確に聞き届けられている。(神はその声が聞こえるように)、長老たちや天使たちを沈黙させる。噂話を乗せた風は渦まき、世界に満ちる騒音は瀑布(ばくふ)となり、その最中にあっても、わたしたちの言葉の一言ですら、聞き逃されることはない。「初代教会のクリスチャンの祈りの際立った特徴は祈りは確かに聞き届けられる」と、ハインリッヒ・グリーンは述べている。わたしたちの言葉は聞き届けられている。その威厳さに、わたしたちは気づいている。劇的な変化がこのような沈黙の間で起こる。この世界は自らを正していく。わたしたちは絶望的な泥沼からではなく、神の御業(みわざ)の視点から現実を認識するのである。わたしたちは希望を獲得している。
わたしたちの大祭司は世情に疎(うと)い方ではない。わたしたちの大祭司は、弱さと試みとを潜り抜け、その全てを ―― 罪を除いた全てを ―― 経験された方である。だから、わたしたちの大祭司の御許にまっすぐ進み行き、わたしたちのために用意されたものを手に入れよう。憐みを受けて、助けを受け取ろう。
―― ヘブライ人への手紙4章15~16節