【あっちゃん牧師のおいしい話】第11回 チーズサンド 齋藤篤

ダビデがマハナイムに着くと、ラバ出身のアンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のアミエルの子マキル、ロゲリム出身のギルアド人バルジライとが、寝具、平鉢、陶器、小麦、大麦、麦粉、炒り麦、豆、レンズ豆、炒り豆、蜂蜜、凝乳、羊、チーズを、ダビデや彼と共にいる人々に食べてもらおうと持って来た。人々が荒れ野で飢え、疲れ、渇いていると思ったからである。
旧約聖書 サムエル記下17章27~29節(聖書協会共同訳)

先週、新しい生活を始める、ある青年の引っ越しの手伝いをする機会がありました。コロナ禍によって、生活の行き場を失ってしまった青年がイチから生活を始めるため、どのように家財道具を調達しようかと思っていたところで、SNSを通して次々と家電やベッド、その他の品が次々と手に入りました。それだけではありません。その青年の新生活を応援したいという思いを持たれた教会のメンバーが、食料品をプレゼントしてくださったりもしました。そのおかげで、青年は不自由することなく、新生活をスタートすることができました。

その一部始終を見ていたある方が、こんなことを言っていました。「あらためて、教会の持つネットワークって、本当にすごいんですね」。そうなんです。実は僕も今回のできごとを通して、あらためて教会の持つネットワークに、感動とともに驚かされました。危機のときにこそ、教会という場は力を発揮することができる場なのだと思いますし、そのような場であってほしいといつも願わされます。新型コロナウイルスが私たちの生活を不安にさせる今だからこそ、少しでもできることをもって、前を向いて歩んでいきたいものです。

上に掲げたサムエル記下の言葉は、旧約聖書の勇者にして賢帝であったダビデが戦い疲れたとき、彼らのために寝る場所と食料を惜しみなく提供した援助者がいたことを示すものです。こうして、人々を援助し、助けるときに、食料品の存在は欠かせないというのは、今も昔も変わらないことなのだなと思わされます。それにしても、麦文化の中に生きていない私にとっては、この聖書の言葉にある「小麦、大麦、麦粉、炒り麦」の区別がとても気になるところです。どのように使い分けて料理していたのでしょうね・・・。

さて、先日、ひとつの小包を受け取りました。送り主は、私がかつて働いていたドイツ・ケルン市にある日本語教会のメンバーであるSAさん。さっそく箱を開けると、付箋に「Guten Appetit !!(グーテナペティト!)」とひと言。「おいしく召し上がれ!」という意味のドイツ語です。そして、箱の中にはチョコレート、コーヒー、そして私の大好物である黒パンとチーズの塊が入っていました。SAさんは私の好物をよくご存知で、こうして時々日本へおいしい小包を送ってくださるのです。

この黒パン、穀物が粒のまま入っている、とても歯ごたえがあり噛めば噛むほど味わい深い一品です。これをどのようにして食べるかというと、バターを塗った黒パンに、スライスしたチーズをはさんで、はい!出来上がり。とてもシンプルな一品ですが、これがまた素朴で美味しいんです。ドイツは朝6時頃からパン屋さんが開いていて、焼き立てのパンを売ってくれます。それら焼き立てのパンとともに、いわゆる日本で言う総菜パンのようなものも売られていて、僕がドイツにいた当時、仕事で月2回通っていた隣町の会場近くにあったパン屋さんで、いつもこのチーズをはさんだ黒パンのサンドを買って、コーヒーと一緒にいただいていました。懐かしい!

ということで、さっそく黒パンチーズサンドをつくることに。もう何度もつくってきた「とても簡単な料理」ですので、もうそれは手慣れたものです。調理時間は2分!シンプル・イズ・ザ・ベスト的なこのサンドを手に取ってパクリ。う~~~ん。これこそ天国の味わい。チーズはちょっと厚めにスライスして、贅沢(ぜいたく)気分を味わったのは言わずもがな。食べ過ぎないように気を付けながら、ひとときのドイツ気分を味わうことができました。こうして、私もまたいろいろな方に支えられながら生きていることに、心から感謝をあらためて思うことができました、ということで、今回のお話はこれにておしまい。

また、次回もお目にかかれるのを楽しみにしています!

 

齋藤篤

齋藤篤

さいとう・あつし 1976年福島県生まれ。いわゆる「カルト」と呼ばれる信者生活を経て、教会に足を踏み入れる。大学卒業後、神学校で5年間学んだのち、2006年より日本キリスト教団の教職として、静岡・ドイツの教会での牧師生活を送る。2015年より深沢教会(東京都世田谷区)牧師。美味しいものを食べること、料理することに情熱を燃やし、妻に料理を美味しいと言ってもらい、料理の数々をSNSに投稿する日々を過ごしている。

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