【哲学名言】断片から見た世界 アウグスティヌス『告白』を読む

2022年の試み:アウグスティヌスの『告白』を読む

明けましておめでとうございます。2022年の「断片から見た世界」は、これまでの連載とは異なる、新しい課題に乗り出してみたいと思います。それは、哲学の歴史の中でもきわめて重要な本の一つである、アウグスティヌスの『告白』を読んでみるというものです。

「『主よ、あなたは偉大であって、大いにほめられるべきである。』『あなたの力は偉大であって、あなたの知恵は測られない。』しかも人間は、あなたの取るに足らぬ被造物でありながら、あなたをたたえようと欲する。[…]あなたは、わたしたちをあなたに向けて造られ、わたしたちの心は、あなたのうちに安らうまでは安んじないからである。」

このような書き出しから始まる『告白』は、古代最大の教父の一人であるとされるアウグスティヌスが、自分自身の人生の遍歴について語った書物です。これからこの本を少しずつ読み解いてゆくにあたって、まずは、この本がどのような経緯で書かれたのかという所から話を始めてみたいと思います。

『告白』はなぜ書かれたのか?

『告白』は、紀元354年に生まれたアウグスティヌスが400年頃、つまり、40代の前半にさしかかった辺りで、おそらくは、彼がヒッポの司教に任命された後に書かれた本であると言われています。彼がこの本を書くに至った主要な理由の一つは、自分の人生がこれまでにたどってきた道のりを、それを熱心に知りたがっている人々に対して明かすためというものでした。ここで重要なのは、「その人々はなぜ、アウグスティヌスという人の人生の物語を知りたがったのか?」という疑問について考えてみることにほかなりません。

彼らにとってアウグスティヌスは、一人の紛うかたなき「真理の人」に見えていました。知的な才能にこの上なく恵まれていたにも関わらず、世俗の学問での成功を手にすることもないままキリスト教へと回心し、友人たちと修道生活を始めて知恵の探求に打ち込んでいた、信仰の人。それが、当時の知的世界に属する人々がアウグスティヌスに対して抱いていた、一般的なイメージであったといえます。

これらの人々の「アウグスティヌスよ、あなたは一体どのようにして、今のあなた自身の生き方にまでたどり着いたのですか?」という問いに答えるようにして、アウグスティヌスは彼の『告白』を完成させました。後に彼は「わたしの本の中で、『告白』ほど広く知られ、愛されたものはなかった」との言葉を残しています。このことは、同時代の人々がアウグスティヌスの人生について知りたいと願う気持ちはそれほどまでに強いものであった、ということを意味しています。アウグスティヌスという人のうちには、彼の周囲にいる人々をして「人間として生きるとは、この人のような生き方のことをこそ言うのではないか」と思わせるような何かがあったということなのでしょう。

「わたしは、『あなた』と呼びかけることのできる存在に出会うことによって初めて、本来的な意味における『わたし自身』になってゆく」:『告白』の文章はどのように語られているか

これから『告白』を読んでゆくにあたって、まず始めに注目しておきたいのは、上に引用した箇所にも示されているように、この本がアウグスティヌスによる「神への呼びかけ」によって始められているという事実です。

アウグスティヌスにとって、人々から投げかけられた「あなたはいかにして、今のあなた自身の生き方にまでたどり着いたのですか?」という問いに対する答えは、彼が信じている「天地の造り主であるところの、イエス・キリストの父なる神」との関係なしには決して語りえないものでした。このことに対応するかのようにして、『告白』の文章はすべて、そのイエス・キリストの父なる神への呼びかけという形式のもとに語られることになります。このことによって、「対話形式の自伝」という、現代の読者からすると不思議なものに見えなくもない語り口が生まれることになったわけです。

この事実は私たちに対して、次のようなことを語っています。すなわち、アウグスティヌスにとって、「わたしが本当の意味での『わたし自身』になってゆく」という出来事は、彼が心からの信頼をもって「あなた」と呼びうるような存在であるところの神との関係なしには決して考えられないものであった、ということです。

人間とはおそらく、自分自身の存在を超えて存在している彼、あるいは彼女の隣人たちとの、この「存在の超絶」との間に結ばれる関係を通してはじめて、本来的な意味での自分自身になってゆくような存在にほかなりません。そして、アウグスティヌスにとっては、自己が真の意味において自己自身を獲得してゆくというこのプロセスは、繰り返しにはなってしまいますが、数ある他者たちのうちでもすぐれて「存在の超絶」そのものであるところの神との関係なしには、決して語ることのできないものでした。『告白』という本は、若き日のアウグスティヌスが自らの生き方について悩み、苦しみ、この世に生きている多くの人々と出会いながら、最終的に「あなた」と信頼をもって呼びかけることのできる永遠にして不変の他者に出会うことによって、ついに「真理の人、アウグスティヌス」となった、その魂の遍歴を自ら物語った本にほかならないのです。

おわりに

『告白』は古代から中世にかけて、そして、ルネサンス期を経て近代に至るまで、「人間はいかにして生きるべきか?」という問いに向き合うにあたってこの上ない手がかりを与えてくれる、一冊の「真実の書」として読まれてきました。このコラムの筆者は、自分自身の人生の行く先について真剣に考えようとしている全ての現代人にとってもまた、この本は今なおそのようなものであり続けていると信じています。これから時間をかけて、アウグスティヌスのたどった人生の旅路を少しずつ読み解いてゆきたいと思いますので、関心を持ってくださる方は、お時間のある時などにお付き合いいただけたら幸いです。

philo1985

philo1985

東京大学博士課程で学んだのち、キリスト者として哲学に取り組んでいる。現在は、Xを通して活動を行っている。

この記事もおすすめ