日本ではじめての本格的な哲学書『善の研究』
「本邦初」という言葉はどんなものにもプレミアムな価値を与えずにはいませんが、このことはもちろん、哲学の本に対しても当てはまります。日本ではじめての本格的な哲学書である『善の研究』の序文から、有名な一節を取り上げてみることにしましょう。
「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明して見たいというのは、余が大分前から有って居た考であった。[…]そのうち、個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである、個人的区別よりも経験が根本的であるという考から独我論を脱することができ、[…]遂にこの書の第二編を書いたのであるが、その不完全なることはいうまでもない。」
– 西田幾多郎『善の研究』 -
本人の言葉によれば「不完全なることは言うまでもない」と評されているこの本はしかし、哲学気質を備えた日本人青年たちの心を数限りなく鷲づかみにし、「僕も/わたしも、西田幾多郎みたいな思索者になりたい……!」との熱い炎を焚きつけたことで知られています。ここでは、その最も情熱的な読者の一人であった倉田百三の読書体験をたどるところから、考察を始めてみることにしましょう。というのも、彼が書いた文章は、およそこれほどまでに激しい読後レビューは現代にはなかろうというくらいに、熱にみなぎっているので……。
倉田青年の、激しすぎるリアクション
1911年に『善の研究』が出版されてまだ間もないころ、当時まだ20代になったばかりだった倉田青年は、身を切り裂くような悩みのただ中で、この本を手にしました。何気なく手に取った彼の目に、上に掲げた文章が入ってきます。……と、その途端、彼の視線はその文章の文字の並びに、釘づけになってしまいました。
「独我論を、脱しただって……!?」倉田青年は、心臓の鼓動が止まったような思いにとらわれました。襲ってきたあまりの衝撃のために、彼はそれ以上先を読むことができなくなり、そのまま本を閉じました。
彼はただ、じっと座っていました。「純粋経験、だって……。」気がつくと彼は、泣いていました。自分でも知らない間に、彼は泣いていたのです。理由もわからず、喜びとも悲しみともつかない涙が彼の頬を伝って、ただ流れてゆくばかりでした……。
……ここまで読んできて、「さすがに、盛りすぎなんじゃね……?」と思われた方もいたかもしれませんが、ここに書いたことはほとんどそのまま、『愛と認識との出発』という本に記されている、倉田青年の激烈な内面の告白を書き写したにすぎません。ここまでど真ん中ストライクで衝撃を受けてくれる読者が現れるとは、著者としても哲学者冥利に尽きるというものでしょうが、それではここで言われている「純粋経験」とは一体、どのような経験のことをいうのでしょうか。紙幅の関係上、あくまでも簡潔な形でではありますが、これから少したどってみることにします。
純粋経験とは、一体何か
突然ですが、今から大リーグのスター選手になって、バッターボックスに立ってみてください。少しだけ手間をかけてしまいますが、一分ほどで終わります。そうそう、そんな感じです。そして、またしても突然ですが、満員御礼のスタジアムの9回裏、投手の方から全力の豪速球が、こちらに向かって飛んできます!
速い速い、150キロは軽く超えています!何も考えずに、全力でバットを振ってください!そうです、振るんです!パッカーン、打ちました!ど真ん中に命中して、ボールはぐんぐん飛んでゆきます!すごい、すごすぎます!大リーグの歴史に残るんじゃないかというくらいの、正真正銘、超特大のホームランです!
すごかったですね。いやもう、観客が総立ちになってしまって、大歓声を上げながら手を振りまくっています。興奮しすぎてわけが分からなくなって、なぜかポップコーンをそこら中にばら撒いている人までいますね。さっそくですが、インタビューをさせてください。ホームランを打ったとき、あなたはどんな気分でしたか?
あなたは、人間だったのでしょうか?それともバットか、ボールだったのでしょうか?私たちはその全てであり、そのどれでもありませんでした。存在していたのはただすさまじい熱狂と、圧倒的な陶酔感だけでした。そうです、これこそが西田のいう、純粋経験の最たるものにほかなりません。
主観と客観の対立も分裂もない、ただ純粋なホームラン状態。余計な言葉も思考もまだ入り込んでいない、十全な権利を与え返された生そのもの。それが、『善の研究』のいう純粋経験の内実にほかなりませんでした。この概念自体はまだ荒削りなものであり、西田はその後の生涯をかけて、この概念において問題となっていた直観を掘り下げてゆくことになりましたが、それでもこの本の叙述は倉田青年をはじめとする、数多くの哲学青年たちに忘れえぬ衝撃を与えるのには十分でした。『善の研究』はこうして、「日本でついに出た、正真正銘の本物の哲学書」の地位を不動のものとすることになりました。長い苦節の末にこの本を書いた西田本人は、「日本の思索者・西田幾多郎」として、京都学派を取りしきるゴッドファーザーの道を歩んでゆくことになります。
おわりに
上に掲げた文章に続いて、西田は「哲学という禁断の果実をひとたび味わってしまったからには、哲学ゆえの苦悩というものもまた、やむを得んというものであろうな……」という決め台詞でもって、序文を締めくくっています。映画の予告編の最終部かと思わせるようなキメぶりですが、この人には他にも数多くの名ゼリフがあるので、いずれまた別の機会に登場してもらうことになるかもしれません。