1948年の「大惨事」、今日のイスラエルに与えた影響を理解する
2018年4月18日は、ユダヤ暦では第8番目の月にあたるイヤールの5日だった。西暦では5月14日に当たるこの日、イスラエルは建国70周年を祝った。一方、パレスチナにとってこの日は「ナクバ」から70年に当たる日だった。ナクバとはアラビア語で「大惨事」を意味し、侵入者によって故郷を奪われた日としてパレスチナ人に記憶されている。1948年の一連の出来事を、イスラエル人は「大昔から続いてきた不正が改められた」と見る。対してパレスチナ人は、「イスラエルの正義は自分たちの犠牲の上に勝ち取られた」と解釈する。1948年はイスラエル離散が終わった年であると同時に、大量のパレスチナ難民が発生した年でもあった。
こうした二つの見解が衝突するのは、イスラエル・パレスチナ間対立の基本的な構造だ。二つの民族がいて、それぞれの民族の物語があり、両者が和解する道はないように見える。過去70年間、世界はこのジレンマに向き合い、いずれの肩を持つかを決めることを強いられてきた。
クリスチャンにとっては特に、イスラエルとパレスチナのどちらが自分たちの同情と支援を得るに値するのか、知りたいところだろう。あまりに長い間、クリスチャンがイスラエルに関して論じる内容は、神学的な範囲に留まっていた。ユダヤ人は今もなお神の選ばれた民なのか。約束の土地は今も約束されているのか。聖書の預言は現代のイスラエルにも関係があるのか。こうしたことを神学者が論争し合っている間にも、紛争は続いている。一方、親イスラエル組織と親パレスチナ組織は、それぞれ競い合うように無味乾燥な精神論的スローガンを発するばかりだ。「イスラエルに祝福を!」「戦争反対、平和に賛成!」「正義を求めよう!」という調子である。結果、この問題をもっと深く考えたい人は「どうぞご自由に」と放っておかれてしまう。
近年、福音派のクリスチャンの間には、パレスチナ人への関心が高まっている。「イスラエル人のことはよく聞くけれど、パレスチナ人はどういう人たちで、何を求めているのか。パレスチナ人を助けるにはどうしたらよいのか」と思っているのだ。ライフウェイ・リサーチ(ライフウェイ・クリスチャン・リソーシズの調査部門)が実施した、米国国内の福音派に対する最近のアンケートによれば、回答者の60パーセント以上が「パレスチナ人をもっと助けたい」という強い思いを持っている。
しかしながら、パレスチナの苦境に対するクリスチャンの反応はさまざまである。クリスチャンは広い視野を持ち、同情的かつ賢明な態度でこの問題にアプローチすべきだ。早急で手荒な態度や感情的で単純なアプローチは不適切といえるだろう。
クリスチャンがナクバに対して取るべき態度として、次のようなポイントが挙げられる。