あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、 まず、この女に石を投げなさい。(ヨハネによる福音書8章7節)
律法学者たちはモーセの律法によって民衆を指導した。主イエスもご自分は律法を成就するために来たと語った(マタイ 5 ・17)。 しかし、律法学者たちは律法の違反者に赦(ゆる)しを説く主イエスを律法の破壊者と見た。彼らはその矛盾を衝(つ)くために、姦淫(かんいん)の罪を犯した女を引っ張って来て、主イエスの前に立たせ、「先生、こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」と問うた。主イエスがもし律法に従って女を殺せと言えば、民衆は赦しを説いている主イエスに失望するだろう。 反対に、もし姦淫の女を赦せと言えば、 律法学者たちは主イエスを律法の違反者として糾弾できる。彼らは答えを迫ったが、主イエスは黙ったまま指で地面に何か書いておられた。他人を裁き、自分の罪には気づかない彼らの醜い姿を見ておられたのである。しかし、彼らがしつこく間い続けるので、主は身を起して今日の聖句を語った 。律法は本来、人が人を裁くためのものではなく、 一人ひとりが神の前で自分の生き方が問われるものである。今、主の言葉によって、律法が本来の目的をもって臨んだ。人々はそこにいることが耐えられなくなり、年長者から始まって一人また一人と立ち去った 。
主イエスは神の意志である律法を「あなたの主である神を愛せよ」と「隣人を自分のように愛せよ」の二つに集約して語った。この律法の前で神に義とされる人はいない。私たちは律法によって義とされる人はいない。私たちは律法によって義とされないが、主イエスの贖(あがな)いの恵みによって義とされ、赦されて、神の意志に応えようとする者となる。