10月2日「賛美の歌を歌って神に祈っていると」

真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの人たちはこれに聞き入っていた。(使徒言行録16章25節)

パウロたち一行はヨーロッパの地に足を踏み入れ、マケドニア州第一の都市フィリピに行った。安息日に、一行は祈りの場所があると思われる川岸に行き、集まっていた婦人たちに話をした。そこに紫布(むらさきぬの)の商人で、神をあがめるリディアという婦人がいて、パウロの話を聞いて主イエスを信じる者となった。このことを、ルカは「主が彼女の心を開かれたので」(14節)と記す。私たちが福音を宣べ伝えて、主イエスを信じる者が起こされるのは、私たちが信じさせたのではなく、主がその人の心を開かれたのである。それゆえ、み言葉が宣教される礼拝をはじめ、教会の諸集会において、神が私たちの心を、また求道者の心を開かれるようにと神に祈ることが、集会を準備する諸奉仕の最優先事項でなければならない。こうしてリディアの家で集会が持たれ、フィリピ教会が誕生した

フィリピでの伝道は、パウロたちが女奴隷を占いの霊から解放したことによって、彼女の主人たちに訴えられ、投獄された。今日の聖句は、足枷(あしかせ)をされて牢(ろう)の中に放り込まれたパウロとシラスの様子を語っている。どうして、このような最悪の状態に置かれでも、なお神を賛美することができるのだろうか。その解答は、神は神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8・28)という言葉にある。私たちもまた、最悪の状態に置かれた時、今まで私たちを持ち運んでくださった神が、これからも持ち運んでくださると信じて、神を賛美し、祈って神の時を待とう。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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