6月24日「この世の有様は過ぎ去る」

定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、……物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。(コリントの信徒への手紙I 7 章29〜31節)

世には初めがあり、終わりがある。私たち自身の終わりも必ず来る。「定められた時」は迫っている。終わりの日に、私たちを待ち受けているのは何か。終わりの日に私たちを待ち受けているのは、無でも破滅でもない。「世の終わり」は、神がキリストによって着手された救いを完成される時である。今すでに始まっている「神の国」が完成する時である。その日、私たちはキリストにおいて啓示された義と愛の神にお会いするのである。この世に終わりがあり、私たちの人生に終わりがあることは不条理なことではなく、神の深い摂理である。

今日の聖句は、私たちに「終わりの日」を自覚して生きるようにと勧める。終わりの日を自覚して生きるとは、この世はどうでもよいということではない。神はこの世の主であり、キリスト者を世から隔離しない。私たちは置かれた境遇や立場で、各々の役割を果たすことが求められている。そのことを踏まえた上で、パウロは信徒たちに境遇や立場に捉われない生き方を勧めている。独身、結婚、財産の多少など、境遇や立場は違っても、それが人生を決定づけるのではない。それらは「過ぎ去る」。そのことを自覚して、境遇や立場に捉われない生き方が求められている。この世の境遇や有様だけに目を向けると、それに捉われて不自由になり、足をすくわれるからである。私たちは神を信じ、神の国の成就する日を待ち望みながら、足を地につけて生きる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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