ルターが内に生きた生涯を偲ぶ 徳善義和氏(ルーテル学院大学名誉教授)の追悼記念会開催

今年1月3日に召天された徳善義和(とくぜん・よしかず)氏の追悼記念会(ルーテル学院、ルター研究所、日本福音ルーテル市谷教会、同東京教会による共催)が17日、日本福音ルーテル東京教会宣教百年記念会堂(東京都新宿区)において開催された。マルティン・ルターの世界的な研究者として、教育者として、さらにエキュメニカル運動の貢献者として多くの働きを担ってきた徳善氏のために約150人が集い、故人を偲んだ。

日本福音ルーテル東京教会宣教百年記念会堂

式は3部形式で行われた。第1部は記念礼拝で、新約聖書の「ガラテヤの信徒への手紙」2章19〜20節を永吉秀人氏(日本福音ルーテル教会総会議長)によって朗読された後、石居基夫氏(ルーテル学院大学学長)が「自由と愛」と題してメッセージを行った。

石居基夫氏

子どもの頃より徳善氏と交流のあった石居氏は、神学生時代には教師としての徳善氏から歴史神学を直に学んでいる。当時について「よく準備された歴史神学の講義では、あたかも目の前にルターその人見ているかのようで引き込まれ、信仰の養いとなった」と、学問だけでなく信仰的にも大きな影響を受けた徳善氏の思い出を敬意を込めて語った。

また、徳善氏がルターを知るきっかけになったのが、青年会の学びで取り上げられた『キリスト者の自由』であったことにも触れた。同書は、徳善氏にとって神学的な学びの原点であると同時に、座右の書でもあった。『キリスト者の自由』でルターは、キリストによる自由と神について示し、徳善氏はそのことをキリスト者が積極的な行いができる自由であり、それは愛と奉仕なのだと解釈していると述べ、徳善氏の姿を、先に朗読したガラテヤ書の一節に照らし合わせ、次のように語った。

「徳善先生は、ルターをとおして、神の言葉に捉えられ、生かされたと言っていいと思います。それはまさに『生きているのはもはやわたしではありません。ルターがわたしの内に生きておられるのです』のようでした」

江口再起氏

「記念会」と称した第2部では、はじめにルター研究所所長を務める江口再起氏が、徳善氏の経歴や、ルター研究の内実について語った。その中で徳善氏のルター研究が「教会的ルター研究」であったとし、教会につかえる牧師・神学教師としてルターの研究に生涯をささげていたことを話した。数多く残した著書のうち代表的なものとして『キリスト者の自由ーー訳と註解』(教文館)、『マルチン・ルター ーー生涯と信仰』(教文館)、『マルティン・ルター ーーことばに生きた改革者』(岩波書店)の3冊をあげ、宗教改革500年の年に出版された『ルターと賛美歌』(日本キリスト教団出版局)が最後の著作となったことを伝えた。

徳善氏は、ルター研究に加え、教育者としてルーテル学院大学、日本ルーテル神学校で40年近く教鞭をとり、さらにエキュメニカル運動にも力を入れ、ルーテル世界連盟(LWF)では、カトリックとの対話にも貢献してきた。第2部では、それらの働きを共に担ってきた、吉高叶氏(日本キリスト教協議会議長)、ルーテル/カトリック共同委員会委員で司祭の光延一郎氏(ルーテル/カトリック共同委員会委員・司祭)、西原廉太氏(日本聖公会主教)らが登壇(西原氏は手紙の代読)し、追悼の言葉を述べた。

その後には、市ヶ谷ルーテル教会の信徒である湯川郁子氏が、同教会で行われたルター原典購読会や、ルターセミナーなどの思い出を語り、長年にわたる多方面での働きに感謝の意を示した。次いで徳善氏の息子である徳善新也氏が登壇し、家族を代表して挨拶した。

新也氏は、残された書籍や、多くの人の話によって、自分の父親について知ることができ本当に幸せに思うと感謝の気持ちを伝えた。晩年についても触れ、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、肉体的には衰えていく中で、歌謡曲など滅多に聞かない徳善氏が、美空ひばりの「川の流れのように」を繰り返し聞いていたことを明かした。新也氏は、「この歌詞に父は、自分の人生を重ねていたのではないか」と思いめぐらした。また、お見舞いに来られた人が、「成し遂げられた顔をしている」と感動して帰られたことが今でも深く印象に残っていると語った。

会場に飾られた徳善義和氏の写真。

第3部では、松本義宣氏(日本福音ルーテル東京教会牧師)が進行役を務め、J・Sバッハのオルガン演奏が行われ。奏者は、ルーテル市ヶ谷教会信徒の湯口依子氏が務め、「われ汝の御座の前に進む」など5曲が演奏された。演奏終了後には、大柴譲治氏(ルーテル学院理事長)が閉会の祈りをささげ、追悼記念会は終了した。

 






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