ノーベル平和賞候補、エジプトのコプト教徒とは

 

2018年ノーベル平和賞の受賞者が5日に発表されるが、その候補としてエジプトのクリスチャンであるコプト教徒が挙がっている。その理由は、ISなどイスラム過激派から迫害やテロの標的になり続けても復讐をしなかったためという。ノルウェー・ノーベル委員会は候補者名を公表していないが、コプト正教会系の国際慈善団体「コプティック・オーファンズ」(本部・米バージニア州)が先月25日に発表した。

昨年は国際NGOの核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が受賞したが、今年は、4月に南北軍事境界線のある板門店(パンムンジョム)で首脳会談を行った北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の共同受賞がささやかれている。

コプト教徒をねらった事件は頻繁に起こっており、大きなものとしては、2011年1月1日、エジプトのアレクサンドリア郊外にある聖マルコ、聖ペテロ教会の前で、新年の聖体礼儀に集まったコプト教徒をターゲットにした自爆テロがあり、32人が死亡し、97人が負傷した。

日本のコプト正教会助祭の矢野達寛さんは次のように語る。

「コプト教徒は、第6代国連事務総長(1992~96年在任)のブトロス・ガリのような著名な人はいますが、決して今までその存在が注目されてきたことはありませんでした。今回のノミネートによって、エジプトのコプトやエジプト以外の中東に暮らすキリスト教徒についても世界的関心が高まり、彼らの生存や宗教的自由が保障されることを願っています」

第6代国連事務総長のブトロス・ガリ氏

エジプトの人口は約9300万人(2017年、エジプト中央動員統計局)。その8割以上がイスラム教徒で、残りはキリスト教徒、特にコプト教徒がその大部分を占めている。

エジプトのキリスト教の歴史は古く、カイロに次ぐエジプト第2の都市アレクサンドリアは重要な拠点として、エルサレム、ローマ、コンスタンティノポリス、アンティオキアとともに5大総主教座の一つとなった。伝承では、福音書記者マルコが福音を伝えてアレクサンドリア教会を創設し、この地で殉教したといわれている。

451年のカルケドン公会議のとき、アレクサンドリア教会は分離することになった。そこではキリストの受肉について話し合われたのだが、キリストは一つの位格の中に神性と人性の二つの性質があるというキリスト「両性論」が採用された。一方、アレクサンドリア教会は、キリストの神性と人性は分割、融合、変化することなく、合一した「人として受肉した神」とする「合性論」という理解を持っていた。それが、人性は神性に融合・摂取されて単一の性となったという「単性論」と誤解されたこと、さらに当時のアレクサンドリア教会とローマ教会が政治的に対立していたことが原因で分離することになったのではないかと言われている。近年では東方正教会、カトリック、プロテスタントでも、コプト正教会への理解が深まっている。

「コプト」というのは、7世紀にアラビア人が入ってきてエジプトのキリスト教徒のことを「クブト」(qubt)と呼んだことに由来する。この地は砂漠という風土の中で修道制が育まれてきたこともあり、コプト正教会では今もその修道制の伝統が豊かに息づいている。

日本では2004年からコプト教徒の留学生のための礼拝が持たれるようになり、16年、京都府木更津市に聖母マリア・聖マルコ日本コプト正教会が開設された。

一方エジプトでは、就職や結婚に際して少数派のコプト教徒は不利な立場に置かれることが多く、キリスト教からイスラム教への改宗や、国際化時代における国外への移住によってエジプト国内の会員が減少しているという問題がある。

 






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