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◆1650年2月11日 ルネ・デカルト没
ルネ・デカルトは近世哲学の祖と呼ばれ、「我思う、故に我あり」の言葉で広く知られる人物です。「信仰」即ち「神」中心の世界観から「理性」即ち「人間」中心の世界観へ世界の哲学が変遷していく、その最初の扉を大きく開いた人だと言えます。そしてこの近代哲学の芽生によって「キリスト教的世界観」は終焉を迎え・・・と哲学や世界史の教科書には書いてあったりするのですが、少なくともデカルト自身は決してそんなことを意図してはいませんでした。デカルトは「理性」でもって「信仰」を否定したのかと思われがちですが、むしろその反対で、彼は熱心なクリスチャンでもあり、理性を用いて神の存在証明をしようとしたりもしていますし、理性を「神が人間に与えたもの」と捉え、それをとことんまで生かそうと考えたようです。神様に与えられた能力は存分に生かさなくてはならない、というのは現代でもクリスチャンが聖書から教えられていることです。
当時は中世に言われた「哲学は神学の婢(はしため)」という思想がまだ主流であり、哲学はあくまで神学を補強するものであって、独立した学問ではないと認識されていました。その哲学を神学から切り離し、独立した学問として成立させたのがデカルトをはじめとする、この時代の哲学者たちでした。
デカルトは「すべてを疑う」ことから思考をスタートさせ、まず一度「これだけは絶対に正しい」という「足場」を作り、そこから様々な物事を論理的に考察しなければならないと考えました。そこで彼が至った「足場」が「我思う、故に我あり」、つまり「どれだけすべてを疑っても、ここで自分がこうして疑い、考えていることだけは疑いようがない」ということでした。彼は神学も学んでいましたから、当時の主流の考えでは「神こそ絶対」であることを知っていましたし、それを否定するつもりもありませんでした。しかし「それとは別の視点でも考えてみよう」ということを試み、その「別の視点」の切り口を人間理性に置いたということです。
さて、デカルトは生まれたころから身体、特に呼吸器系が弱かったようで、1650年の2月11日に風邪をこじらせて亡くなってしまいました。真冬に特に寒いスウェーデンに引っ越したことや、夜型人間だったのを無理に朝型生活に切り替えたのも身体の負担になってしまったようです。最後の生徒となったスウェーデン女王クリスティーナはデカルトの影響によってプロテスタントからカトリックに改宗しました。この点を見ても彼が、プロテスタントとカトリックの相違は脇に置くとしても、決して神と聖書を否定したわけではなく、むしろ肯定していたということがわかります。
まだまだ風邪の季節は続きます。皆様どうかご自愛を。
それではまた明日。