おはようございます。
今日もクリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
◆1964年1月5日 東西教会の「和解」
395年にローマ帝国の国教になったキリスト教ですが、ローマ帝国の東西分裂と共に、教会も東西に分かれました。その後、長い時間を経て東西の教会はそれぞれ異なる教義を持つようになり、ついに1054年に相互破門によって決定的に分裂しました。相互破門というのは砕いて言えば、お互いに「君たちのことはキリスト教として認めない!」と宣言しあったということです。
この時の西側の教会が今のローマ・カトリックで、ここからルターによってプロテスタントが興りました。つまり今のカトリックもプロテスタントも共に西方教会に属するということです。一方、東側の教会は今の正教会にあたります。ギリシア正教、ロシア正教などが代表的な教会です。
東西の教会は長く断絶状態が続いていたのですが、1964年にローマ・カトリック教会の教皇パウロ6世と、コンスタンディヌーポリ全地総主教のアシナゴラス1世が会談し、お互いの破門を解きました。これによって東西教会は和解しました。とは言えこれは事実上「対話を進めましょう」というくらいの意味ですから、両教会が統一されたわけではありません。両者の対話は今でも続けられています。
それではまた明日。