国際的な伝道者ルイス・パラウが11日、肺がんとの3年におよぶ闘病の末、オレゴン州ポートランドの自宅で家族に囲まれ、86歳で召天した。葬儀は、近いうちにオンラインで配信されるオレゴン州ポートランドでの小規模の私的礼拝を計画していると遺族は語っている。また、人々が彼に感謝してコメントを残すことのできるホームページも新たに立ち上げられた。
パラウは65年以上にわたり、世界的な伝道で影響力のある役割を果たしてきた。80カ国以上でメッセージを語り、またテレビやラジオ、書籍などを通して10億人以上に福音を伝えてきた。
1934年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス郊外に生まれる。10歳のとき、父親が亡くなり、12歳のとき、サマーキャンプで導かれ、自分の人生をキリストに献(ささ)げる決心をしたという。
「少年の頃からずっと福音のためにすべてを注いできたことを後悔していません。もし私に千の生涯が与えられたら、私はそれらすべてを同じ召しのために献げるでしょう」と彼は振り返っている。
パラウは10代の頃から路上で説教を始めたが、60年、カリフォルニアの牧師レイ・ステッドマンから宣教の訓練のために米国に招かれた。オレゴン州ポートランドのマルトノマ聖書学校(現在のマルトノマ大学)で勉強している間、パラウは妻のパトリシア・スコフィールドと出会って結婚し、一緒に伝道生活に乗り出すことになった。
ところで、まだパラウがアルゼンチンにいた16歳のとき、ラジオでビリー・グラハムの説教を初めて聞いたことがきっかけで、19歳で地元のラジオ局に自分のクリスチャン・ラジオ番組を持つようになった。
後にビリー・グラハム福音伝道協会のインターンを務め、時にはグラハムのスペイン語翻訳者も務めた。78年にパラウ自身が、グラハムをモデルにした独自の働きを始めるのをグラハムは助けて資金提供をした。それ以来、パラウはグラハムの後継者として世界中で多くの大規模な伝道集会を開催してきた。
最初は母国アルゼンチンとラテン・アメリカというスペイン語圏にその働きは焦点が当てられていた。彼は、ラテン・アメリカにおける数十人の大統領、独裁者、国家元首と個人的にイエス・キリストの福音を共有する機会があった。
やがて、数十年にわたる世界的な活動を通じて、ニューヨーク、ロンドン、マドリード、シンガポール、香港、カイロなどの主要国際都市をはじめ、80カ国以上で500以上の伝道集会を開催してきた。
70~80年代、パラウは、旧ソビエト連邦内で宣教を行うことを許可された数少ない外国の説教者の1人だった。91年に鉄のカーテンが取り払われた時には、中東とアジアの一見閉鎖された国々においても大規模な伝道活動を始めた。
2003年の時点で、毎日放送される3つのラジオ番組を主催していた。23カ国の900局が放送する英語の番組と、25カ国の880局が放送する2つのスペイン語番組だ。2007年、パラウは、イエス・キリストのメッセージを70カ国の2500万人と共有したと推定されている。
彼の自伝映画「パラウ・ザ・ムービー」が公開された18年、パラウはフェイスブックで、自分がステージ4の肺がんを患っていることをシェアした。
パラウは死の直前にこんなメールをスタッフに送っていた。
「神は良い方です。私には大きな後悔ありませんでした。神に仕え、その福音を分かち合うことほど良いことはありません。その真理を決して忘れないでください。神はあなたを使うことを喜ばれます。神はあなたの奉仕に喜びを感じます。神はあなたに微笑んでいます」