7 より良いチームさえあれば、教会は健全になるはずだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「目の中の梁(はり)」について書かれた聖句がある(マタイ7:1~5)。必要であれば読み返してほしい。奉仕するリーダー性、健全なリーダー性は、謙虚さから始まる。パウロが言うように、私たちは「罪人の頭(かしら)」だ(1テモテ1:15)。へりくだりの主キリストが体現したリーダー性を受け入れ、かつ実行することなくして、誰かに仕えることは不可能だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
教会で最も危険な人は、自分が罪人であることを忘れた人だ。もし牧師がそうだった場合、それは教会にとってずいぶん困ったことになる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ダーウィン・グレイはサミットの講演でこのことを上手く言い当てた。「私たちの神は、罪の中にある人々を愛しています。それは彼らが、神にとって愛さなければならないすべてだからです。息子(イエス)の中に見いだされた私たちは、もう逃げ出す必要はありません」
チームが健全に機能することを望むのであれば、「どのように自分がその問題の一部なのか」とまず問うべきだし、「自分がどのようにその解決策の一部となることができるか」と考えるべきだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8 私は何か間違ったことをしているに違いない。でなければ、私たちの教会はもっと良い状況にあるはずだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
牧師は誰でも、どこかのタイミングで同じ疑問に直面する。それは、「自分の人生だって上手にいっていないのに、ほかの人の手助けなどできるだろうか」というものだ。しかしこの嘘は、二つのやり方で私たちをごまかしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一つ目は、焦点を主ではなく自分自身に合わせていることだ。あらゆる事柄において牧師は、自分のまわりにある間違いを自分のこととして引き受けようとする傾向がある。「もっとうまく伝道できれば、教会は成長するはずだ」、「より良い訓練ができれば、信徒の信仰はいっそう深まるはずだ」と考えがちなのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伝道や弟子訓練への熱意は、ただイエスに近づくため、そしてイエスに栄光をもたらすために用いられるべきだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
教会を何よりもダメにするのは、「教会全体が自分を中心に回っている」と考える牧師や役員だ。イエスは明確に、「私は……私の教会を建てよう」と言ったではないか(マタイ16:18)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二つ目の間違いは、何を基準に(教会が)「もっと良くなる」と考えるのかだ。「もっと良い」というのは普通、主観的な見方だ。それは何と比較しているのだろうか。主に近づくこと、主のことをより深く知ることに集中すれば、「もっと良い」ことの意味するものが何であれ、それは自然にそうなると確信できるのではないか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたの教会に必要なのは、「もっと良く」することではないのかもしれない。あなたの教会が今の状況にあることには、何か意味があるはずだ。世界があなたのことを頼りにしているなどと思わないほうがいい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ダーウィン・グレイが講演で話した言葉には、何度も繰り返し聞くだけの価値がある。「イエスがあなたのすべてなら、ほかの人が言うことに頭を悩ませる必要はない。(考えるべきなのは)生産性ではなく、人々のことだ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戦略や計画を検討する前に、まずイエスに思いを馳(は)せ、イエスが私たちの中で、そして私たちを通して何をされようとしているのか考えてみよう。私たちを伝道の働きへと導いてくれたのはイエス自身だ。そして、その道のりがどれだけ長く続くものであっても、私たちが歩みを続け、やがて歩み終えるまで、イエスは力と導きを与えてくださるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
執筆者のエド・ステッツァーは、ホイートン大学のビリー・グラハム教会・宣教・伝道委員長であり、ビリー・グラハム・センター事務局長。そしてもう一人の執筆者、ローリー・ニコルズは、ホイートン大学のビリー・グラハム・センターの広報・マーケティング部門の担当官。
本記事は「クリスチャニティー・トゥデイ」(米国)より翻訳、転載しました。翻訳にあたって、多少の省略をしています。
出典URL:https://www.christianitytoday.com/edstetzer/2019/december/lies-pastors-believe-part-two.html
カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。