細川ガラシャ(芦田愛菜)は洗礼を受けたものの、夫の忠興(望月歩)が反キリスト教的態度を強めたため、ガラシャは離婚したいと宣教師に相談する。関西の宣教師の代表者だったオルガンティーノはそれに対して、トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』として現在知られている信仰書の一節を示す。
彼女は、……ジェルソン(の書)の一節「一つの十字架から逃れる者は、いつも他のより大きい十字架を見出す」(という言葉)を理解しました。その結果、彼女は落着きを取り戻し、(私宛の)書状や伝言からして、(あのような)ことを起すことはなさそうです。(フロイス『日本史』5巻、247ページ、中央公論社)
「一つの十字架から逃れる者は、いつも他のより大きい十字架を見出す」の意味は、目の前の苦しみから逃れても、また別の同じような苦しみに直面するだけなので、その苦しみを受け止めるようにということだ。
ところで、『キリストにならいて』は当時、フランスの神学者ジェルソンの編著書と考えられていたため、ここでは「ジェルソンの書」と呼ばれている。カトリックだけでなくプロテスタントでも聖書に次いで今も広く読まれ、多くのキリスト者に影響を与えた霊想書だ。実はガラシャは、教会に一度きり訪れた後、侍女たちなどを通して宣教師と次のようにやりとりしている中でこのキリスト教書を譲り受け、以後、ガラシャの愛読書となっていた。
(ガラシャは)デウスの教えについての関心をいっそう深めていきたいので、御身らのお手もとにある日本語と御身らの言葉に訳されている霊的な書物をぜひとも送っていただきたいと願った。司祭たちが当初、『コンテムツス・ムンジ』を送ったところ、(彼女はそれが)いたく気に入り、片時もその書を身から放そうとせず、我ら(ヨーロッパ)の言語に出てくる言葉とか未知の格言について生じる疑問をすべて明瞭に書き留め、(侍女の)マリアにそれを持たせて教会に遺わし、それら(に対する)回答を(自分のところへ)持って帰らせた。(奥方)の文字は日本できわめて稀(まれ)なほど達筆であり、(彼女はそのことで)きわめて名高かったから、彼女は後に自筆でもって他の多くの霊的な書物を(日本語に)翻訳した。(同、231ページ)
ここでは「コンデムツス・ムンジ」とあるが、『キリストにならいて』第1章のラテン語題「De Imitatione Christi et Contemptu omnium vanitatum Mundi」(江戸時代の訳では「世界の実もなき事をいとい、ゼス・キリシトをまなび奉る事」)の後半から「コンテンツス・ムンジ」(Contemptus Mundi)という題でスペインやポルトガルでは知られていた。1580年代にはすでに邦訳され、その後、90年にヨーロッパから帰国した天正少年使節が持ち帰ったグーテンベルク印刷機で印刷・出版されることになる。
フロイスも、ガラシャが離婚についてオルガンティーノに相談した時のやりとりを次のように書いている。
大坂(の教会)の上長の司祭(オルガンティーノ)は、彼女と夫との間にいくらか不和が存することを承知していたので、現在も生きているデウスの教えによれば、正しいことにおいては夫に従い、救霊(について)知識が得られるよう夫君を導く努力をすべきである、と(彼女に)注意するところがあった。(同、236ページ)
ここでは『キリストにならいて』の引用ではなく、聖書の次の箇所などからアドバイスをしたと思われる。
妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ御言葉に従わない夫であっても、妻の無言の振る舞いによって、神のものとされるようになるためです。神を畏れ敬うあなたがたの清い振る舞いを見るからです。あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りを身に着けたり、衣服を着飾ったりするような外面的なものではなく、柔和で穏やかな霊という朽ちないものを心の内に秘めた人でありなさい。これこそ、神の前でまことに価値があることです。かつて、神に望みを置いた聖なる女たちも、このように装って、夫に従いました。(1ペトロ3:1~5)
ガラシャは、夫からの耐えられないような仕打ちに対して感情的になり、離婚して宣教師たちのもとで暮らすほうが信仰的だと最初は考えていた。しかし、それは決して信仰的な判断ではなく、単なる被害者意識による自己中心的・現実逃避的な考えではないか。むしろ、この神からの試練の中では、自分から主体的に夫に対応することこそ、本当の信仰者の生き方だと気づいたのだ。
それに対して彼女は答えて言った。「尊師におかれては、(私の)過去のことについてどうか鷲き遊ばされますな。と申しますのは、私にはデウスの光も、真実の救いとか来世についての知識とてはありませんでしたから、そのことから夫に従うについて難しい(こと)が生じていたのでございます。つまり私は、たとえ(あのようにして)父を失った身であるとは申しながら、そのために落胆したり恥じたりすべきではないことを夫に悟らせようとして(あのように振舞ったので)ございます。でも今は伴天連(バテレン)様がお命じになることがよく判りましたし、主(なるデウス様)の御恵みによって、ご命令を身をもって実行するよう努力いたすつもりでございます」と。(同、236~237ページ)
ここに見られるガラシャの自己分析を見ても、彼女がいかに賢い女性だったかが分かる。「逆臣の娘」として夫から軽く見られないようにと自分は意地を張っていただけだと告白しているのだ。
オルガンティーノやフロイスは、ガラシャが屋敷から出ることができなかったので一度も面識はなかったが、それにもかかわらず、高山右近や黒田官兵衛などキリシタン大名に引けを取らないほど多くのページを割いてガラシャのことを書いている。このことだけも、ガラシャがどれほど宣教師たちにとって大切な存在だったかがうかがえる。オルガンティーノがこのように書いているとおりだ。
私が(先に)都に来ることを希望しました理由の一つは、(ガラシアという)この霊魂に対する愛情からでした。なぜならば、この霊魂を保持することから大いなる善が生じ、それを見放すことによって私たち一同は大いなる危険に曝(さら)されるからなのです。それほど彼女は高貴であり、私たち一同が心して我らの主(なるデウス)に彼女のことを願うに価する人物だからです。(同、247ページ)
そして、その洞察が真実であることが、のちにガラシャの最期によって忠興やキリシタンたちが大きな影響を受けたことで証明されるのだが、それはまた別の記事に譲ろう。(9に続く)
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