さて、宣教師による報告では、ガラシャが介錯された後の様子は次のようだった。
家臣たちはさっそく(介錯されたガラシャの)その首を絹衣で包み、その衣の上に火薬を置きながら、自分たちの女主人が死んだ同じ部室で死ぬことは非礼であるので前方の家屋に立ち去り、(そこで)全員切腹し、同時に火薬に火をつけた。その火薬(の爆発)によって、ドナ・ガラシアが外へ出させたあの侍女たち以外の者は逃れ出せず、彼らおよびきわめて華麗なる御殿は灰燼(かいじん)に帰した。侍女たちはこぞって泣きつつ、そのことがどのように生じたかをオルガンティーノ師のところへ語りに行った。(『16・7世紀イエズス会日本報告集』第I期第3巻、同朋舎、246ページ)
オルガンティーノ師というのは、1570年から日本で活動していた宣教師で、関西にいた宣教師の責任者のことだ。イタリア人らしく気さくで、日本人が大好きだった彼は、「宇留岸伴天連(うるがんばてれん)」と呼ばれて多くの日本人から慕われていた。京など関西を中心に宣教活動を行っていたので、織田信長や豊臣秀吉など時の権力者にも気に入られ、信用されていたという。ちなみに1587年、秀吉がバテレン追放令を出したのは、九州を拠点にしていた植民地主義的な宣教師と初めて接したためだ。オルガンティーノは1609年、長崎で帰天している。76歳だった。
このことで司祭と我ら全員は、同地方のキリシタン宗団にとって、あれほど(立派な)夫人、あれほどの稀有なる徳操の模範であった人を失ったことで、ひどく悲嘆にくれた。この夫人はキリシタンとなった後は、幾多の書簡に記されたように、改宗においても生活においても感嘆すべきものがあった。自らの魂のことをいとも重んじ、デウスの冒涜(ぼうとく)になる行ないをすることを大いに恐れていたので、それはすべての司祭たちには大いなる驚きであった。(同)
ガラシャの回心は本物であり、真剣だった。その信仰姿勢は、幽閉されて会うことが叶(かな)わなかった宣教師たちさえ「感嘆すべきもの」「大いなる驚きであった」と書いたほどだ。おそらくガラシャの信仰は、苦しみにあえばあうほど、自分のために十字架にかかられたキリストの御跡に従おうと純化されていったのではないだろうか。
死に先立って彼女は、自らの死を予知していたかのように、再度告白し、書状によって、(死去する)日より前のことであるが、もし起こるべきことが起こったならばいかに処すべきかを確かめるために多くの疑問を提示し、質疑した。そしてその疑問に対する返答に大いに満足して心落ち着いた。かくしてその後、自らの罪ほろぼしにその死を受け入れつつ、強く、制し難(がた)いほどの勇気をもって、しかも我らの主の御旨(みむね)といとも一体となって亡くなった。(同)
「告白」とは「ゆるしの秘跡」のことで、「告解」「悔悛の秘跡」とも呼ばれる。教会の中にある告解室という小部屋で、壁を隔てて神父に自分の罪を話すシーンを映画などで見たこともある人がいるだろう。人間の罪はただ一度のキリストの十字架によって赦(ゆる)されるが、それでも生きている限り罪を犯し続けるのが人間の現実だ。そうした苦しみの中でその重荷を打ち明け、司祭から神による赦しの宣言「あなたの罪は赦された」が告げられることで、信者は赦しの確信を深めていけるのだ。
細川屋敷に閉じ込められていたガラシャは、教会に行って神父に会うことはできなかったので、侍女に手紙を託した。そしてガラシャは、戦国時代に生きる武将の妻として、「もし起こるべきことが起こったならばいかに処すべきか」と、今回のような事態も予期して、すでに神父に相談していたという。
この報告では、ガラシャの死の2、3週間前、京にいた宣教師によってガラシャの信仰の姿がよく伝えられた書簡も紹介されている。
彼女(ガラシャ)は至って悔悛(の業)を好み、去る四旬節は、自分の多くの侍女たちとともに深い信心をもって鋲釘のついた金具で鞭(むち)打ち苦行を行なって、涙と血を流した。(同、247ページ)
教会で最も重要なキリストの復活を記念する「復活祭(イースター)」の前の40日(日曜日を除く)は、その準備期間である「四旬節(受難節)」とされ、信徒は断食(十分な食事を控える)などキリストの苦しみを覚える時を過ごすが、当時、十字架の死の直前にキリストが受けたように自分の体に鞭を打ちつける苦行も行われていた。ガラシャはそうすることで自分の苦しみの意味を深めていったのだろう。
彼女は慈善事業や喜捨にすこぶる献身的で、自らの手で邸(やしき)に養育している幾人かの捨て子の身体を洗い、衣服を着せる。家臣たちの改宗についてもきわめて熱心なので、自分の領国で福音を説くイエズス会員の5ないし7名の扶養を申し出ている。(同)
ガラシャの信仰は決して内向的なばかりではなかった。自分にできる限りの善い行いをすることにも熱心だった。このあと、司祭に対する従順さがつづられているが、その一例だけここでは取り上げる。
そして大いなる尊敬と敬虔さをもって我らと諸事につき伝達し合えることを非常に大切とみなしているので、ただその目的だけで、我らの(ローマ)字の読み書きを学び、ヴィセンテ修道士が彼女に送ったABC(のローマ字アルファベット)と、ただの教材だけで、ついに司祭にも修道士にも逢うことなしに、その(日本人)師匠と同じか、またはそれ以上によく(ローマ字文の)書信を読み書きするに至った。(同)
外国人宣教師とスムースな意思疎通が図れるよう、自らアルファベットを学んだというのだ。以前、洗礼直後のガラシャが夫・忠興との離婚を相談した時も、フロイスが次のように書いていることからも分かるように、ガラシャには語学の才もあったようだ。
(ガラシャは)デウスの教えについての関心をいっそう深めていきたいので、御身らのお手もとにある日本語と御身らの言葉に訳されている霊的な書物をぜひとも送っていただきたいと願った。司祭たちが当初、『コンテムツス・ムンジ(キリストにならいて)』を送ったところ、(彼女はそれが)いたく気に入り、片時もその書を身から放そうとせず、我ら(ヨーロッパ)の言語に出てくる言葉とか未知の格言について生じる疑問をすべて明瞭に書き留め、(侍女の)マリアにそれを持たせて教会に遺わし、それら(に対する)回答を(自分のところへ)持って帰らせた。(奥方)の文字は日本できわめて稀(まれ)なほど達筆であり、(彼女はそのことで)きわめて名高かったから、彼女は後に自筆でもって他の多くの霊的な書物を(日本語に)翻訳した。(フロイス『日本史』5巻、中央公論社、231ページ)
さてガラシャの死後、大坂の細川屋敷は焼き尽くされてしまった。その焼け跡に宣教師は一人の女性信者を遣わす。
(細川邸の)火が消えると、オルガンティーノ師は篤信の一人のキリシタン婦人に、他の婦人たちを伴わせて、ガラシア夫人が死んだ場所に、遺体についている何かを探しに行くよう命じた。彼女たちは、すっかり焼けていなかった幾つかの骨を見出し、司祭のところへ持って行った。司祭は他の司祭や修道士たちと、大いなる悲痛と涙の中に彼女の葬儀と埋葬を執行した。この夫人の死は日本中で大いに悲しまれた。(『16・7世紀イエズス会日本報告集』第I期第3巻、248ページ)
その遺骨は、キリシタン大名の小西行長が造営した堺のキリシタン墓地に葬られた(同4巻、142~143ページ)。しかし、後に徳川幕府によってその墓地が破壊されたため、大阪市の崇禅寺(そうぜんじ)に遺骨が移されたと言われている。
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