【鬼滅のイエス】第四夜 「金髪の子」はヘタレでもダメでもすごいんです MARO

『鬼滅の刃』からキリスト教について語ってみようというこの企画も4回目になりました。前回は個人的に大好きな「猪の子」の話をしましたが、今回は第一印象最悪で最初は「嫌いなキャラNo.1」だった、あの「金髪の子」のお話をしようと思います。ネタバレはなるべく控えますが、ちょっとはしてしまうかもしれません。気になる方はどうかご注意を。それでは今回もよろしくお付き合いください。

「金髪の子」はヘタレでもダメでもすごいんです

見捨てられない絶対の安心感が引き出す潜在能力

『鬼滅』には主人公の仲間として前述の猪の子の他に、善逸(ぜんいつ)というキャラも出てきます。この子がですね、言葉を選ばずに率直に第一印象を申し上げればもう「非常にうざったい」の一言です。何をさせてもドジをする、ピンチになれば泣きながら真っ先に逃げ出す、平和な時には調子に乗る、女性と見ればすぐにまとわりつく・・・と、「君はもう、ヒーローの一員としてどうなんだ!?君がこの作品に出てくる意味は何なのだ!?」問い正したくなってしまうようなキャラクターです。最初に彼を見た時は「この子、人気投票とかやったら絶対に圏外だろうな。こんなのが主要キャラだなんて原作者の人物設定ミスだな・・・もはやもう、こいつのせいで観るのやめちゃう人さえ出るだろ」と思ったものです。しかし、実は最新の『鬼滅』キャラクターの人気投票では、彼はなんと主人公をも抑えてNO.1に輝いたのでした。

そんな彼を眺めていて思ったのは、彼を受け入れる主人公、炭治郎(たんじろう)の度量がすごいということです。「こんな奴だけど、いざという時は役に立つから」とか「一人にしちゃったらかわいそうだから」とかそんな「○○だから」「〇〇だけど」なんていう接続詞抜きに、ただ純粋に、無条件に、まるで家族が家族を受け入れるかのように、炭治郎は善逸を受け入れているんです。この二人の関係をみて、僕はイエス様とペテロの関係に似ているなと思いました。

ペテロという人はいわばイエス様の一番弟子なのですが、この人も、何をさせてもドジばかり、ピンチになれば逃げ出すし、平和な時は調子にのるし、おまけに時々厚かましくもあったりと、善逸くん以上に「あなたはイエス様の弟子としてどうなの!?もしかして神様のキャスティングミスですか!?」と問いたくなるような人物なんです。でもイエス様は彼を絶対的に受け入れました。「○○だから」も「〇〇だけど」もなく、受け入れました。そして弟子の中でも最も大きな役目を彼に託しました。

人間って、絶対の安心感の中でこそ能力を発揮できるものなのかもしれません。「有能だから」受け入れられているなら、結果を出せなければ排除されてしまうかもしれません。「無能だけど」受け入れられているなら、それは上から温情をかけているだけですから、いつ愛想を尽かされても文句は言えませんし、それに怯えなくてはいけません。しかし、そういう接続詞なしに、絶対的に受け入れられているなら、「良くても悪くても自分の立場は揺るがない。ならできることを精一杯やってみよう」とも思えるのではないでしょうか。みんながみんなそうではなくても、そういうタイプの人もいるというのは確かなことだと思います。

自覚のない「獅子奮迅」は聖書の一つの理想像?

ピンチになると逃げ出してしまう善逸ですが、さらに本当にとことんまでピンチになると恐怖で気絶してしまいます。もう本当にヒーローとしてどうなの!?でもですね、彼がすごいのはここからです。彼は気絶すると無意識の中で体が勝手に動き出し、まさに別人となって獅子奮迅(ししふんじん)の働きをします。とことんまで追い詰められ、もうどうにもならない!となった時に自我を手放して神様に身も心も委ねる、その時に普段ではありえないような力を発揮することができる、そんな善逸のような経験をしたことのあるクリスチャンも少なくないと思います。

そして善逸くんのエラいところは、なにせ気絶した状態で活躍するので、ピンチが過ぎ去ると自分の獅子奮迅ぶりをちっとも覚えていないということです。覚えていないので当然それを鼻にかけることもありませんし、威張ることもありません。そこがとてもエラいと思います。聖書にも「右の手がしていることを左手に知らせないようにしなさい」と書いてあります。ちょっとわかりにくい表現ですが、要約すれば「自分が良いことをしたとか、自分で思わないようにしなさい」とか「良いことこそ、人に隠れてやりなさい。できれば自分自身にも隠れてやりなさい」という意味です。それを自然にできてしまっているのが善逸くんなんです。エラい!

現在のクリスチャンでも何か大きなことを成し遂げて人から褒められた時、「すべての栄光を神様にお返しする」のがお手本です。しかしこれはなかなか難しいんです。褒められると人間って舞い上がってしまって、「僕すごいでしょ?もっと褒めて褒めて!」となりがちなんです。結果オーライとはいえ、それが自然にできてしまう善逸くんはやっぱりエラい!人気投票一位はダテじゃない!

そんなわけで、第一印象は最悪だった善逸くんだったのですが、ストーリーを追うにしたがって、僕はだんだん彼を大好きになっていったのでした。ペテロも新約聖書の前半では先に書いたようなおっちょこちょいキャラですが、後半では別人のようになって、初代教会のリーダーとして活躍しました。そして今でもたぶん「聖人人気投票」なんてやったら1位まちがいなしなんじゃないかと思えるほど、多くのクリスチャンに愛されています。

今回もそろそろお時間です。次回はいよいよ最終回、イエス様の鬼退治についてお話ししたいと思います。それではまたいずれ。MAROでした。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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