映画『鬼滅の刃』がいよいよ日本映画の歴代興行収入の記録を塗り替えようとしています。これまでの記録は『千と千尋の神隠し』ですから、やっぱり日本人は日本的な世界観の映画が好きなのでしょうか。そんな日本的世界観の作品だと、クリスチャンはちょっとコメントがしにくかったりします。だって西洋文化を描いてくれた方がキリスト教にまつわるものは出てきやすいですからね。しかしそれでも、ちゃんと作品を楽しめば、日本的世界観の中にもキリスト教に結びつくようなことも、ちゃんと見つかるものです。
と、いうわけでせっかくの機会ですからこれから何回かのシリーズとして、クリスチャンとして『鬼滅の刃』に思わされるところを、あまりネタバレにならない程度に(少しはしちゃうと思いますが)、いくらか書いてみたいと思います。題して【鬼滅のイエス】シリーズ。よろしくお付き合いくださいませ。
『鬼滅の刃』の舞台とキリスト教 そして煉獄とは?
大正時代のキリスト教事情は?
最初に、『鬼滅の刃』の舞台となった時代と、その頃のキリスト教についていくらかご案内いたしますね。
『鬼滅』の舞台は大正時代です。大正時代は1912年から1926年ですが、登場人物の会話などから推察するに、その前半が舞台になったと思われます。ですからざっと1910年代の中盤あたりと思っておけばよろしいかと。さて、ではその頃の日本のキリスト教事情ってどんな感じだったのでしょう。
明治維新の後、日本では空前のキリスト教ブームとも呼べるものが起こりました。国を挙げての脱亜入欧政策がとられたので政治的指導者やお金持ちがこぞって教会や聖書に触れて影響を受けるようになったんです。しかし次第に「天皇が中心でなければ」という機運が強まり、1889年の大日本国憲法でも信仰の自由が制限されましたし、また1890年の教育勅語で天皇と国家神道が国の核とされたこともあり、そのブームは下火になっていきました。
『鬼滅』の舞台になったのは、ちょうどそんな頃の日本です。かつてのブームは去ったけれど、そのブームのおかげでキリスト教が、信じる信じないは別として、多くの人に「そういう宗教もある」とすっかり認知された時代です。教会による慈善事業、社会福祉事業もこの頃に始まりました。作品にはあまり登場しませんが、当時はまだ欧米列強と日本はそれなりに仲良しでしたから外国人宣教師もそれなりの数はいたのではないかと思います。
ちなみに日本でクリスマスのイベントが始まったのは明治の後半、1900年頃と言われていますから、『鬼滅』の時代には少なくとも銀座や浅草あたりではそれなりに定着していたと思われます。『鬼滅』に登場する隊士も鬼も、クリスマスイルミネーションを眺めたかもしれないんです。そう思うとなんだか少しほっこりしますよね。
煉獄さんが人気だけど煉獄って何?
劇場版の『鬼滅』で煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)という人物が大人気となりました。おかげでGoogleで「煉獄」と検索してもこの方の記事ばっかりが上位表示されて、ダンテの「神曲」に登場するキリスト教の概念としての「煉獄」について調べたい時には困ってしまうことになりました。でも多くの人がたまたまとは言えそうやってキリスト教用語に触れてくれるのはクリスチャンとしては嬉しいことです。と、いうわけで、「じゃぁ煉獄って何?」というのをちょっとだけ説明しようと思います。
ものすごく簡単に言うと、煉獄とは「地獄に行くほど悪くもないけど天国に行くほど正しくもない人が、死んだ後で一時的に収容される場所」のことです。つまり天国と地獄の間にあるのが煉獄なんです。そこでの苦行(?)を終えると、人の魂は浄化されて晴れて天国にいけると、こういう寸法です。が、すべてのキリスト教徒がこれを信じているかと言うとそういうわけではなく、カトリック教会では信じますが、プロテスタントや正教会ではこれを認めていません。
この煉獄が具体的にどんなところなのか詳しく知りたい方はダンテの「神曲」をお読みいただければと思います。「ダンテの神曲」というととても高尚で手がつけにくいイメージもありますが、思い切りぶっちゃけてしまえば「丹波哲郎の大霊界」みたいなもので難しいものではありません。それによると煉獄は私たちが抱いている地獄のイメージとほぼ同じです。ただ、地獄は「永遠の苦しみ」ですが、煉獄は「期間限定の苦しみ」ですから、その点による心理的プレッシャーの差は大きいかと思います。
・・・と、『鬼滅の刃』のこともイエス様のことも語る前に今日はお時間が来てしまいました。せっかく煉獄の話をしましたから、明日は煉獄杏寿郎さんについて、いくらかクリスチャンとして思わされるところをお話ししたいと思います。
それではまた明日。
MAROでした。